続・ビジネス中国語えとせとら(6) 関西外国語大学教授 戸毛 敏美    
ギクシャクきしむ日中の言葉
 春がくるとまた新学期が始まり、今年も「自転車操業」になりそうだ。日本の大学、大学院が今大きく変革しつつあり、本学も本年度より「中国ビジネスコミュニケーションコース」を開設したところ、予想以上の反響とのこと。日中両国語の通訳者・翻訳者を目指す学生が入学してくるので、その準備に大童の今日この頃である。

学習目標確立の大切さ

 毎年各クラスのオリエンテーションでは、私なりのやり方を実行している。
 先ず黒板に「大学生」と板書し、「これまでの勉強の目的」を尋ねると、決まって「大学受験のため」という返事、そこで「大学入学を実現したら?」と聞くと「きょとん!」

 そこで「大学」とはいにぶ所、つまり小中高にはここまで教えるというガイドラインがあったが、大学とは「天井知らず」、つまりどんどん自分で学ぶ所であると紹介する。そして学ぶ目的は学んだ物をかすためなのだと説明している。
 次に「勉強」と板書し、大阪弁で「勉強しますよ」とはおまけ、値引き、サービスするという意味で、日本語では「学習」、では中国語の「勉強」は「無理強いする」「強制する」という意味があること。つまり今日からの私の勉強は、日本語の意味でもなく、ましてや大阪弁の意味でもない。つまり「中国語での勉強、つまり強制をしますよ!」と宣言することにしている。
 そして日本人が中国語を身につける上で最も有利な点は存分に発揮し、弱い点、つまり「発信型」の勉強、「発音」や中国語での自己紹介「発表」を目指すと目標を明確にしている。自慢ではないが、びっくりするほど皆努力し、僅か3ヶ月あまりで、つまり夏休み前には中国語で約400字の自己紹介ができる。
 ビジネス中国語を履修するにしても、日本ビジネス中国語検定試験合格を目標として、皆が取り組むと意欲も湧き、成果もはっきり出てくる。

日本語の「常識」、中国語の「非常識」

 先ず日本語の思考方法を覆すショック療法を心がけている。「勉強」以外に日本語の「常識」を捨てさせる努力をしている。例えば「好」は「はお」で「好き」と言う意味ではない。好きは「喜歓」と書き喜ぶという意味ではない。喜ぶは「高興」と書くのだとか…。
 それでも一寸気を緩めると間違いを犯す。特に三・四回生の「ビジネス文」翻訳では、いつも「珍訳文」が登場する。
 「近日」これは「近いうちに〜する」と訳すが、実は中国語では「最近〜した」と言う意味である。「十一・五」はそのまま翻訳しようものなら「字面だけで訳すな!」と叱られる。必ず意味を理解し「第十一次五カ年計画」と訳させる。最近新聞を賑わす台湾問題でも、「廃統」「布温会談」「公投」「溺棄」「派対」「拍?」「臭美」など新語が氾濫しているのも通訳泣かせである。「国家統一綱領の廃棄」「ブッシュ・温家宝会談」「公民投票」「(女の子の)間引き」「パーティー」「パートナー」「格好つけ・変に気取る」。また「人間」は人の世という意味である。
 最近中国の新製品販促広告に「贈呈品をさしあげます」の後ろに「激情享受!」とあり、日本語では「激情」とは「激しく起こる抑えきれない感情」であるが、中国語では「やや興奮した喜ぶさま」を表現する言葉である。「充満創業的激情与活力」は「創業の意欲と活力に満ちた」という意味なのである。
 以前に中国の指導者が「言明」と言ったのを、日本側は「厳命」と取り違えて「けしからん!」と怒り、日中政府間の誤解、悪感情が生じた。これなどは好意を持って人の発言を受け止めるか、悪意・嫌悪感を持って人の話しを受け止めるかの違いではないだろうか。
 いくら中国人でも、いくら親しい間柄でも、一国の外務大臣に向かってそんな言葉を吐くはずがないではないか。
 このように日本語には同音異義語が非常に多く通訳泣かせだ。いくつか例を紹介したい。
  ある日道路が混んで遅刻しそうになり、慌てた学生がバスから携帯で先生に電話をかけ「先生じゅうたいで  す!」と言ったところ、先生は「重体」と勘違いしてびっくりしてしまった。しかし言ったほうは道路が「渋滞」し   ていると言ったつもり。
  「政治協商会議」を中国では「政協」と略し、「人民代表大会」を「人大」と略す。しかし学生はついこれを直訳  し「せいきょう」と言う。しかし通常日本人がこの発音を聞いて、すぐに頭に浮かぶのは「生協」ではないだろ  うか。「え!中国にも生協があるの?」。
  「人大」も「じんだい」では日本人は「甚大」しか浮かばないのではないだろうか。
  日中関係が良好であればこんな誤解が無いのかもしれないが、互いに疑いの眼でものを見ると、発言者が  「中国の発展は驚異的ですね」と賞賛したのに、通訳がこの「驚異的」を同音異字の「中国の発展は脅威的  」と取り違えて翻訳する方がおり、これでは大変な誤解が生じてくる。
  「関心、感心、歓心、寒心」特に「関心を寄せる」の関心と「感心する」の感心を間違える学生が多い。一事   が万事、枚挙にいとまがない。

ぎくしゃくした日本語

 最近日本語の試験監督をした際、出題に「“男は泣きながら走る女を追いかけた”を正しく表現しなおしなさい。」とあり、「男は泣きながら、走る女を追いかけた」「泣きながら走る女を、男は追いかけた」と解釈できるので、二つの文に直せば正解のようであった。
 ビジネス中国語検定試験問題で「中国対鋼材的需要」をそのままの順で「中国の鋼材に対する需要」と翻訳した人が多かった。これは「鋼材に対する中国の需要」とすべきで、「中国製鋼材」への需要ではない。しかし、この種誤解される訳例も多い。まさに「得其意、忘其形」が必要になる。
 またやたら「の」で文をつなぐ人が多い。例えばこれも日本語試験問題の例だが、「彼の猫のピカソの絵の価値が知りたい」を正しく書き直しなさいなどの例が挙げられる。
 これが試験問題だけの現象ではなく、最近の日経新聞でも発見した。「米国の健康食品会社の日本法人の課税処分の報道を巡り〜」とあり、一体誰が、誰に、何を、が判らない文であった。別の新聞では「米国企業の日本法人が所得隠しをしたとする報道を巡り」とあり、やっと意味が判った次第である。実は学生の翻訳文にもこの種の過ちが非常に多い。
 またレポートや学生の提出した文書で、パソコン変換ミスがやたらに多い。「先生が講義した」は「先生が抗議した」、「お爺さんが茹卵を食べた」を「お爺さんが茹でた孫を食べた」式の間違いも多い。
 中国語では「的」が大きな役割をはたしているので、翻訳を学ぶ授業では引き続き「的」を外すな!、「的」(てき)は敵!といい続けるつもりである。

複雑な日中両国の「量詞」

 中国語学習者は大抵「日中両国は同じ漢字を使っているのだから、学びやすいのでは?」と思って学ぶが、発音の難しさ、語順の難しさもさることながら、もう一つ困難がある。
 日本語では鶏は一羽、二羽と数を数えるが、鶏肉「かしわ」には「一羽」とは言わない。でもこれは外国人には難しいようである。
 また日本語では「コーヒーを飲む」「味噌汁を飲む」でよいが、中国語はじめ他国語では用いる容器に相応しい言葉を選び、「一杯」「一瓶」「一椀」「一カップ」「一缶」とかをつけなければならない。「本を買う」「ノートを買う」「鉛筆を買う」「新聞を買う」も本や雑誌は「一冊の本」、ノートは「一個のノート」と変わり、「一本の鉛筆」「一張報紙」と数詞の後ろに大抵それぞれの名詞に相応しい量詞をつける習慣があり、これが大変である。
 同じように、中国語では「あの+(量詞)名詞」「この+名詞」「その+名詞」「どの+名詞」の際、必ず間に量詞が入り「あの+(量詞)+名詞」「この+(量詞)+名詞」「その+(量詞)+名詞」「どの+(量詞)+名詞」としなければならない。しかもそれぞれの名詞ごとに、日本語と同様にそれぞれ異なる「量詞」をつけなければならから、さあ大変!
 中国語では「この取引」「あの取引」は「這筆交易」「那筆交易」と書くので、つい「この筆の取引」「あの筆の取引」と訳す。「今回」は「這次」と書くので、つい「この次」と訳してしまう。

日本のカタカナ語訳の通訳泣かせとうまい翻訳例

 最近の若者言葉かも知れないが「派対(パイ・ドイ)に参加する」と言われ、私は「排」隊」?つまり「行列して何かをする?」と勘違いしたが、実は「パーティー」の中国語であり、つまり「パーティーに参加」であった。
 広告で「酷!」とあり、残酷の酷?ではおかしいと思ったら「格好いい!」

 「奥会」は「オリンピック」のこと。「雅典奥会」は「優雅な式典」ではなく「アテネ・オリンピック」のこと。「都霊奥会」は「都の霊場」ではなく「トリノ・オリンピック」のこと。「客串」とは「客の串刺し」ではなく、「客串演出」は「ゲストとして公演に参加する」という意味である。「公投」は「公民による投票で決定すること」。

 感心する訳も多い。「グルメ」は「美食」「美食家」。最近一番感心したのは「ライブドアー」を意味で訳して「活力門」。しかも発音が「フオリーメン」であるから、日本語の「ホリエモン」に近く、感心させられた翻訳語であった。