続・ビジネス中国語えとせとら(10) 関西外国語大学教授 戸毛 敏美    
日中国交正常化と学力低下

 先日中国語学院の会議室で感じたことは、やはり中国人が語学を学ぶ姿勢が日本人と全く異なることでした。何しろ隣室から壁を通して聞こえるのはやかましいほどの声で、教科書の朗読、先生の発声につづく復唱、いずれも声が大きいことでした。
 また最近中国総領事館主催の中国語教育に関する勉強会に参加して、日本人学生の「学力」どう考えればよいかを思い知らされました。吉林大学で外国人に中国語を中国語で教えておられる先生お二人のお話で一番印象に深く残ったのは、韓国、欧米の学生と比較して挙げられた、日本人学生の共通した問題点でした。中国の大学では「口語課」というのがあり、それをとても重視して教えており、クラス分けも「聞く・話す」能力で分けるのは知っていましたが、これほど重視しているとは思いませんでした。勿論クラスサイズが日本よりずっと小さいから出来ることです。
 先生がまず指摘したのは、日本人は一般に声が小さくはきはきしていないので、積極性に欠けている印象であること、次に彼らが話をする際、常に目を伏せがちだったり、上を見て話す人、横を向いて話すとか、あのー!この−とか間に入れる人、とにかく多くの人が話す際、目を相手の目や顔から反らして話す人が多いことでした。それを改める方法として感心したのは、先生方は口で、またその場で指摘するのではなく、ビデオを撮り学生に自分が話す際の状況を自分で確認させ、気付かせる方法をとられている点でした。口で言っても自分の姿を見たことがないので、理解してもらえないこと。また口語課に授業は学生にどしどし話させるのが目的なので、先生がその都度指摘すると学生の発言しようとする意欲を削ぎ、話の腰を折ってしまうのでしないとのことでした。
何故声が小さく、積極性が不足するのか
 本学では毎年数千人の学生を海外へ留学させる制度があり、私の学生も沢山留学します。彼らに共通する帰国後の感想というか、口々に言うのは海外へ行って自分が日本のことを本当に知らなかった事にいやと言うほど知らされたとのこと。何を話してよいか話す内容が頭に浮かばず授業では受身になり、また日本のことをあれこれ質問されても答えられなかったとのことでした。つまり話ができなかったのは、英語や中国語ができないのではなく、知識がないだけでなく、どう話せば良いか分からなかったとのことでした。
 「口語課」では事前にテーマを与えると、往々にして学生は課外で作文し、その発表は文章朗読か暗誦になり、不自然な会話になるからそれはせず、実際に先生とコミュニケーションを行うのだそうです。こうなると日本人学生は語学力ではなく、話す・討論・議論・ディベートする訓練を受けていないので問題となり、自信がないので小声になるのです。
企業でのインターンシップで感じたこと
 本学は学生が就職後ミスマッチを起こさないよう、出来るだけ全員にインターンシップをさせるよう指導しています。私は当初、受け入れる企業の事情を思い、「負担をかける」「迷惑をかける」「丸投げ」「教育放棄」のように感じていました。勿論、企業によっては簡単な仕事をさせる所もあるようです。しかし、最近ある大手企業でインターンシップを受けた学生の話を聞くと、先ず簡単に職場、研究所など施設を見学した後で、あるテーマを与え、街頭へ出て一般消費者の声を聞く調査をやらせ、その結果をグループに分けて徹底的に討論させ、各人がプレゼンテーション形式で、皆の前で発表させる方式を採用していたそうです。つまり日本でもこれからは積極的にプレゼンテーションできる人材が求められているのではないでしょうか。
 外国の事情・歴史・文化・習慣などだけでなく、自国の事情・歴史・文化・習慣を熟知し、それを相手に理解して貰える様に話して、きちんと伝え自分・自社・自国の利益を守り通していけるようにならなければならないのです。
ITの落とし穴
 最近また図書館担当者から「年々学生が本を読まず、貸出し数、来館者数が減少しているので、学生に本を読むよう指導を強化してほしい」と通達がありました。
 「レポートにはインターネットから引用した文章を切り貼りしたものが多い」と先生方はみな感じています。私も最近ネットで調べて感じたのは、情報過多といえるほど、キーワードで検索するとどーっと沢山の情報が流れてきます。しかしいい加減なものも非常に多いと感じました。 それから新聞・雑誌・テレビなど「マスメディア」も、日本の「あるある〜」事件や、中国の「段ボール紙豚饅」問題に見られるように、視聴率を上げること、スポンサーがお金を出して貰えるような、広告がとりやすい紙面・番組作りが求められでおり、それに公正さを求めるのは無理というか、限界があるのではないでしょうか。そうなれば、私たちはそれらを一つの情報源としてとらえ、多くの情報を収集し、自分の頭で分析し考えて、何が正しいのかを判断していかなければならないのです。
 しかし、日本の小・中・高までの勉強では近代史は教えないし、世界の歴史も教えないで、○×式大学受験合格のための勉強はしても、人の話やマスメディアの情報を鵜呑みにせず、絶えず眉に唾して、自分で調べたり、自分の頭で考えたり、議論して真偽を見極めるなどの訓練を受けて来ていません。「教育改革」とは、お上・政府の言うなりになる国民に育てて、支配しやすくしようとしているのではないかと思わざるを得ない感じがします。最近、政府はやるべき教育は行っていないのに、18歳から選挙権を与えて「憲法」などを変えようとしているが、結果は政府の思う壷ではないでしょうか。危険ですね。
77事変」から70年・国交正常化35
77事変」から8年の侵略戦争、それを修復するのに27年間かかったが、振り返るとそれは政府の中国封じ込め政策の言いなりにはならず、財界・経済界や民間の多くの人々が知恵を絞り、協力し合い、たゆまず努力して国交正常化を勝ち取ったのです。
 そこでは社会体制、思想信条、思考方法、風俗習慣や言葉の違いを乗り越え、お互いに相手の立場に立って考え、時には口角泡を飛ばして議論を交わしてきたのです。
 いつも「不打不成交」「雨降って地固まる」の諺に励まされながら、日本側内部でも、そして中国側ともよく議論してきたことが走馬灯のようにありありと思い出されます。
 つまり学ばなければならない力、身につけなければならないスキルとは大きく分けて二つ、一つは知識、技術や言語などのハードスキルと、もう一つはコミュニケーション力、交渉力などソフトスキルであり、後者が不足しているのだと気付きました。
 このグローバル化された現代に相応しいソフトスキルを私達日本人はしっかり身につけなければならないのではないでしょうか。若者は携帯・メールで交信する術は知っていても(一方通行の情報発信)、自分でよく資料を調べ、自分の頭でよく考え、どうすれば相手に理解してもらえるか戦術を練って、面と向かって相手の気持ちを理解しつつも、存分に協議したり論議したりして、意見を戦わせ、「小異を残し大同につく」精神で粘り強く交渉して妥協点を見つけていく術を、あまり教えられてきていなかったからではないでしょうか。