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大同に私が通いだしてから16年が過ぎました。変わったこと変わらないことさまざまですが、変わったことの最たるものが交通と通信です。今回は交通事情を振り返ってみましょう。
■自動車は汽車より速い
まずは北京から大同への交通。以前は主として列車で、たいていは夜行でした。夜の11時前に北京駅を出発し、大同到着は翌朝の7時前。鉄道距離は370kmほどですからゆっくりです。北京の海抜が50m前後なのに、大同のそれは1040mほど。途中の山越えにはスイッチバックもあり、夜中に目を覚ますと逆方向に走っていて驚いたことがあります。冬の夜は冷えこみ、外気はマイナス30度近く。それなのに暖房の効きが悪いうえに窓がきちんと閉まらず、タオルをはさんで風を防いだことがあります。首から肩にかけてカチンカチンに凍りました。その後、車両は新しくなり、シーツや毛布もきれいになって快適です。
鉄道は京包線(北京−包頭)と大秦線(大同−秦皇島)があります。後者はもともと石炭輸送の専用線でしたが、客運にも使われるようになり、両方の最短路線をつなぐことで時間が短縮されました。昼間の列車なら5時間ちょっと。大きな変化が北京西駅の開業でした。それまでの北京駅は手狭なうえに、通路に寝ている人、人、人でたいへんでした。踏んづけちゃいけない、迷子をだしちゃいけないと緊張しました。
北京−大同の高速道路が全線開通したのは2001年の年末です。開通当初は快適で運転手たちは「2時間半だった」「おれは2時間15分だ」といって記録作りに挑戦しました。危なかっしくて、年配の運転手を探してもらったものです。北京市内から八達嶺までの高速道路は早くからありましたが、その先は国道110号線と109号線を行くしかなく、渋滞も多くて使えなかったのです。
最近の高速道路は100tも積んだ石炭トラックが増え、とくに大同→北京方向は路面が荒れ、渋滞がひどくて、時間の計算ができなくなりました。時間短縮効果が大きいのですが、北京はさほどでもありません。乗客も少なく、いつまでつづくか心配です。
■道路を拡幅しても朝夕は渋滞
市内の交通も大きく変化しました。1992年ごろは目抜き通りの迎賓路を馬車が通っていました。車も少なく、タクシーとなると2つほどのホテルで数台が客待ちするだけ。ノーメーターで料金は交渉しだい、言い値は20元です。「高すぎる」というと「じゃあ、乗るな」。古い車が多く、カーブで突然ドアが開いて振り落とされそうになったことも。
ところがいまや朝夕の通勤時間は大渋滞です。数年をかけて中心部の道路をすべて拡幅しました。日本ではムリでしょうけど、土地は国有の中国ですから、両側の建物をあっというまに壊して、道を広げたのです。それでも渋滞は解消しません。
大同ではこんな小話がはやりました。「自動車は汽車より速い。自転車は自動車より強い」前半についてはすでに書きました。後半は、自転車が何台か横に並んで走っていると自動車は前に出ることができないという意味。自転車だけじゃない、歩行者も悠然と車道を歩きますからね。私たちの運転手はそれをみながら「中国人不怕死」(中国人は死を恐れない)と言いますので、それを受けて私は「排除万難一定要死!」(万難を排して必ず死んでやる)と叫びます。
■新農村建設で村の道まで舗装
農村の道路もずいぶん変わりました。最初のころは大同市内から渾源の県城に行くのさえたいへんでした。この道路は大同−五台山−太原を結ぶ幹線道路ですが、基礎はいいかげん、鋪装も薄いためにすぐ壊れます。雨が降るとぬかるんでバスは動けなくなります。ボランティアツアー参加者も降りてバスを押しましたよ。70kmほどの行程に何か所もありました。
龍首山の峠越えが難所で、つづらおりの急な坂道を上り下りします。エンジンやブレーキを焼いたトラックが道端に連なり、ハンドルを誤って谷にダイブした車が名物でした。しかし、この峠からみる黄土高原の典型的な農村がまさに絶景!外国人は必ずバスを止め、「これをみただけで来た甲斐がありましたよ」と話す人がいたくらい。
ところが数年前、この道はつけ替えられました。山を削り谷を埋めて距離も時間も大幅に短縮されました。全線が拡幅され、鋪装もしっかりしたものに改められました。へたをすると3〜4時間もかかった行程が1時間ちょっとになったのです。
でも「修路」のあいだは地獄です。日本のように片側ずつ補修するなんて面倒なことはやりません。工事の予告や迂回路の設定もなし。突然に土盛りで道路がブロックされます。それも複数の道路が一斉に。2004年の夏、霊丘県は陸の孤島になりました。
大きな道路から順々に良くなりましたが、村への道路は取り残されました。貧しい小さな村へ通う道ほど。私たちの協力対象はそういう村ですので、ほんとに困りました。雨が降ると黄土の道はグリスを流したよう。横に深さ100mの浸食谷が口を開けていたら、ツアーを乗せたバスは通れません。
それが最終的に変わったのは数年前からの新農村建設です。村までの道がコンクリートで固められ、村のなかの道路も鋪装されました。「公路暢通加快発展!」といったスローガンがあちこちでみられます。
■石炭トレーラーの大渋滞
それで万々歳かというとそうはいきません。大同は中国最大の石炭の街です。国有の大炭鉱は鉄道の引き込み線があって貨車輸送中心ですが、地方炭鉱はトレーラーによる輸送が多いのです。これがすごいんですね。私が数字をあげても日本人には信じてもらえないんですけど、2両連結で150t以上積みます。なかには180t以上のものさえも。
車の能力を絶対的に超えてますから、上り坂ではエンジンがあえぎ、下り坂ではブレーキを焼きます。故障がすごく多くて道路の片側をふさぎます。譲り合いなんて別世界のこと、運転手としては50cmでも前進あるのみ。前方が渋滞していると車は前に進めませんが、幸い反対車線に車がきません。先を争ってそこに乗り入れます。渋滞の反対側でも同じことが起こります。両側の車線で車同士が角突き合わせるんですけど、そのころにはなにが原因だったかわからなくなります。公安もやってきますけど、たいていはあきらめ顔。渋滞が本格化すると以前は何日もつづいたそうですけど、最近は進歩してせいぜい半日です。渋同じことが起こります。両側の車線で車同士が角突き合わせるんですけど、そのころにはなにが原因だったかわからなくなります。公安もやってきますけど、たいていはあきらめ顔。渋滞になると付近の農民なんかがインスタントラーメンとポットのお湯、ゆで卵などをもって売りにきます。通常の何倍もしますけど、腹が減るとよけいにイライラしますしね。
路肩を歩いてようすを見に行く人がいますが、私はお薦めしません。渋滞が長くなると、お腹もすくけど、反対の現象も起こります。路肩にウ○コが並んでいることがよくあります。
「道路をよくするのもいいけど、交通マナーの向上がもっと大事じゃないか」なんて私がいうと、「人をぜ〜んぶ入れ換えないとだめだよ」なんて答えが返ってきます。
2007年の11月中旬、「北京・天津・河北・山西・内蒙古の5省市区の交通部門は同地域内における55tを超えるトラックの走行を禁止する通知を連名で発表、即日施行した」というニュースが入りました。違反した車の持ち主には3万元の罰金、運転手には違反点数がつき、12点になると免許停止になるそう。検問所をたくさんつくったそうです。事故が多いし、橋が落ちることも少なくないからです。私もよくみました。
一挙にこんなことが可能でしょうか。私はちょっと信じられません。大同の友人に電話できくと、「通知があったのは事実だけど、いまのところ取り締まりは厳しくない」ということです。
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