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緑の地球ネットワークの本業は緑化協力なのに、これまで一度もそれについて書いていません。ちょっと反省。
大同における私たちの協力がスタートしたのは1992年1月ですので、すでに16年目です。植えた苗木は1700万本、面積は5000haを超え、プロジェクトの数はのべ200近くになりました。そのなかには成功したものもありますが、失敗したものも少なくありません。とくに初期は失敗つづきでした。
それらをふり返ってみると、プロジェクトが成功するためには3つの条件があると思います。
【自然条件を無視できない】
第1に、自然条件があります。たとえば、雨の少ないところに大森林をつくろうと願っても、それは無理な話です。苗の小さいあいだは水の要求量も少ないので、なんとか育つかもしれません。面積がそう大きくなければ、人工的に灌水することも可能でしょう。しかし、樹木が育つにしたがって、水の要求量は増えます。人工的な灌水は、かならず限界がきます。
大同の中央部を流れる桑干河の流域では、ポプラ(小葉楊)による緑化が大面積ですすめられました。桑干河は北京の水源であるため、早くも1950年代から開始されたのです。地元の人の話では、しばらくのあいだはよく育ったようです。年輪解析の結果、それが裏付けられました。ところが植栽後10年から15年で、だんだんと伸び悩んでしまいました。
大きくなればなるほど水の必要量は増えますが、ここの年間降水量は平均400mmしかありません。平面に密植しているので、隣同士で水を争うようになります。そんな状態のところに旱魃がくると、ポプラは先端が枯れてしまいます。それでも下部は生き残って、枝の一本が幹に変わって、また伸びはじめる。そこにまた旱魃がやってくる。その繰り返しで、グニャグニャにねじ曲がってしまいました。地元の人は「小老樹」と呼んでいます。自然の条件を逸脱したプロジェクトは、短期的には成功したようにみえても、長続きはしません。
しかし、これが完全な失敗かというと、そうとばかりはいえません。活動がスタートしてすぐのころ、私はこの小老樹の林にはいって驚きました。最初に気づいたのは足の裏です。土がやわらかいのです。スコップで掘ってみると、地表から20cm以上、黒い豊かな土に変わっていました。小老樹自身は育ちませんでしたが、毎年、枯れ葉や枯れ枝を落として土を肥やしたのです。私たちの苗畑や果樹園は、すべてこの小老樹の林を整理して建設しました。
【9人の賛同と1人の反対と】
第2に、社会的な関係がたいせつです。中国は政府の力が強いので、各級政府の支持を得ることは大切なことです。そっぽをむかれたら、成功するはずのものも失敗します。
それから、10人の関係者のうち9人が賛成しても、大声で反対する1人がいれば、そのプロジェクトはうまくいきません。これが困るんですね。中国には日本では考えられないような人物、大人物がいます。それは時代と社会が必要とし、つくりだすものでもあるんですね。日本ではちょっと考えられないような人たちが、少数ですがいます。
そして、その対極に、箸にも棒にもかからないような人間がたくさんいます。これはもう天下に遍くです。こういう人が大声で騒ぎ立てたら、たいへんなんですね。大同のカウンターパートがいちばん苦労しているのは、この種の問題です。それにくらべると、島国日本の人間は人物、大人物もいないかわりに、そう不出来な人もいなくて、平均的なところにまとまっています。
さらに、果樹を植えるばあいなんかは、市場と流通を長期的な視野で考える必要があります。そのような社会的な関係をじょうずに処理しないと、うまく運びません。
【リーダーの役割がとくに重要】
第3は、人的な要素です。しっかりしたリーダーがいるかどうか、と言い換えてもいいでしょう。緑化というのはわりの悪いしごとで、悪い結果はすぐでます。春に植えて、夏に行ってみると全滅といったことも、初期にはしばしばでした。その逆に、いい結果がでるまでには長い時間を要します。その期間を持ちこたえるのが、たいへんなんですね。重要なのはリーダーです。村の人たちをまとめあげ、しっかりひっぱってくれないとうまくいきません。
この3つの条件は、たがいに独立してはいません。たとえば、交通が不便で、水のないような村。自然条件に恵まれず、社会関係も困難なわけです。そういう村はだんだんに過疎化します。そのときに、才覚が働き、体力・腕力に恵まれ、度胸もある、こういう人が真っ先に村をでていくんですね。本来なら村のリーダーになるはずの人です。
7年ほど前のことですが、大同県の東閣老山村で、村長に私が「ねえ、後継者にしたい人はみんないなくなって、こいつさえいなかったらこの村もよくなるのにと思うような人間だけが残るでしょう」といったら、村長は「どうしておまえは、この村のことにそんなにくわしいんだ!」といってびっくりしていました。辺境の貧しい村はどこもいっしょなんですね。そのような村に残っても嫁のきてがないし、運よく結婚して子供が生まれても、教育をつけることができない。向上心の強い人ほど、先に村をでていきます。すると、3つとも条件がなくなってしまいます。
条件が3つともそろっている村は、自分たちでしっかりやっていますから、私たちの出番はありません。逆に3つとも欠けている村は、成功の可能性はほとんどありません。最初は私たちも勇ましかったので、挑戦したんですよ。何度やっても失敗しました。そうすると私たちのカウンターパートも、私たちも、へとへとに疲れきってしまいます。
代表的なのが、天鎮県の李二烟村です。16年もつづけてきて、あそこより困難な村にはその後もであっていません。水がなく、交通の不便な村の代表のようなもので、1人あたり年収が100〜150元といった状態でした。そして村長がしょっちゅう変わります。半年もおいて訪れると、かならず人が変わっているんです。人間はとてもいいんですよ。3年つづけて失敗し、もうこれまでだと心を決めて私が席を立ったら、通訳の王萍が「みんな泣いていますよ」といいました。それでもう1年つづけたのですが、また失敗しました。
それほどでなくても、協力の対象になる村はなにかの条件が欠けていますから、困難は避けられないのです。
【天の時、地の利、人の和】
では、これら3つの条件のうち、いちばん重要なのはなんでしょう? 私は人的な要素だと思います。多少、自然条件に欠けるところがあっても、人さえしっかりしていれば、補うことができます。成功したところは例外なく、しっかりしたリーダーのいる村です。逆に失敗するのは、人に問題があるばあいがほとんどです。
「天の時は地の利に如かず。地の利は人の和に如かず」といったのは孟子だそうです。地の利というのは自然条件ですね。天の時は社会関係と言い換えてもいいでしょう。私が人的要素といったのは、人の和です。先人の教えにたどりつくまでに、私はずいぶんと回り道をしたものです。
最近になって、条件のあるところ、ないところを、簡単に見分ける方法に気づきました。村の学校をみればいいのです。村の規模や経済状態にくらべ、学校がしっかりし、先生が熱心な村は、かならずとはいえませんが、成功する可能性が大です。逆に、レンガ建ての新しい住居もぼちぼち建って、金回りはそう悪くないはずなのに、学校がボロボロだったり、先生がいいかげんだったりする村は、まず百パーセント失敗します。
教育に力をいれているということは、リーダーが村の将来を真剣に考えているということです。もっと早くそのことに気づいていれば、私たちも失敗を減らすことができたことでしょう。
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