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2006年3月に開催された人民代表大会で、温家宝首相をはじめ党と政府の指導者は「調和社会の建設」を強調し、立ち遅れた内陸や農村への重点的投資、環境問題の克服などを訴えたそうです。
■あまりにも遠い都市と農村
1992年1月以来、私は毎年100日前後、緑化協力のために山西省大同市の農村に滞在してきました。ここは黄土高原の東北端に位置し、土壌浸食と砂漠化、水不足の深刻な地域です。そういうところですから、農村はほんとうに貧しいのです。
忘れられないできごとがあります。1995年春のこと。中国語のできない私のために、それより5年ほど前に1年間、埼玉県での研修を体験した王萍が通訳を担当することになりました。彼女は生まれはハルビン、育ちは大同ですが、農村へ行くのは私と一緒のそのときが最初でした。
農村でみること、きくことが彼女には驚きでした。子供たちと話していたと思うと、びっくりして私のところに帰ってきます。「年齢よりずっと小さいのです。私の娘と同じ年の子でも2歳は小さくみえます」。浸食谷の底の湧き水をみにいっては、「すごい色をしてますけど、あんな水を飲んでもだいじょうぶですか?」私はそのたびに「そんなことを私に聞くな!あなたの仕事はなんなんだ!」彼女は当時、大同市伝染病病院の看護婦でしたが、いまではえらくなって院長助理です。
そのあと彼女が出勤して、同僚の医者や看護婦に農村の見聞を話しても、誰も信じてくれなかったそうです。農村にはたくさんの結核患者がいますし、私も出会いました。でも、入院している結核患者は多くないそう。結核は貧困と結びついた病気ですから、そう診断されても入院はできないのです。大同のような地方都市でも、都市と農村とではそのような開きがありますし、都市の人は農村に関心をもちません。
■狭い地域のなかでも大きな格差
農村の生活が苦しい最大の原因は自然環境が厳しいことです。年間降水量は400mmほどですが、年ごとの変動が大きく、多い年は650mm、少ない年は250mmほどになります。近いところでは1999年が「建国以来最悪の旱魃」と言われ、2001年は「百年に一度の大旱魃」といわれました。
全体として貧しい大同の農村ですが、地域のなかでも格差があります。山地や黄土丘陵の農村は小さくて貧しく、盆地の村は大きくて相対的に豊かです。上の村は雨のたびに土が流され、水もそこに留まりませんが、下の村には土も水も集まるからです。土と水の多寡が人間活動の容量を決めますから、それだけで大きな差ができます。
大同市陽高県獅子屯郷を例に考えてみましょう。2003年の1人あたり年間収入は、郷全体の平均で1,357元(1元=13円)です。大同の農村でいえば中クラスといっていいでしょう。当時は25の村があり、うち10の村が1,000元以上で、最高は1,957元。15の村が1,000元未満で、最低の村は748元でした。最高と最低とで村の平均でも2.6倍の開きがあります。
2003年はかなりの豊作だったので、これでも格差がめだたないほうです。2002年の郷全体の平均は1,288元であり、大旱魃の2001年は586元でした。これらの年の1畝(6.67a)あたりの食糧生産高をみると、郷の平均で2003年は205kg、2002年182kg、2001年は43kgです。旱魃の年に収穫を期待できるのは地下水による灌漑が可能な盆地の畑だけで、天水に頼る丘陵の畑は収穫を望めません。凶作の年ほど格差は大きいので、郷全体の平均が586元といった年は、貧しい村の農業収入はゼロに近いでしょう。残念ながら2001年の村ごとのデータはえられませんでした。
■深刻化する水不足
日本の常識では耕地が広いほど農村は豊かです。ところが大同の農村では条件が悪くて貧しい村ほど1戸あたりの耕地面積は1〜2haと広いのです。土地の生産性が低いと、広くないとやっていけません。逆に条件のいい盆地の村は戸数が多いので、1戸あたりの耕地は狭くなり1haもありません。水と土のキャパシティを超える人口があるわけで、条件の悪い高所の村を下の村に移すのは、計画は簡単でも実行は容易ではありません。
貧富を分けるのは、土地面積より水だといっていいでしょう。別の県の郷で旱魃の年の事情を調査したことがあります。郷の1人あたり食糧生産は295kgでした。生存のために成人1人が必要とする食糧は年間200kgですので、郷全体ではそのラインの上にあります。ところが11の村を一つずつみると、200kgを超えるのは4つで、最高は528sでした。どの村も井戸による灌漑が行き届いています。
逆に1人あたり100kgを切る村が5つあり、最低の村は39kgでした。これらの村は灌漑が不可能か、ごくわずかでしかできません。100〜200kgという中間の村を含め、畑の灌漑率と1人あたり食糧生産高、年収はきれいに比例しています。
灌漑が生死を分けるといってもいいでしょう。そうなると条件のある村、つまり地下水位が浅く資金のある盆地の村では、なにをおいても井戸を掘ります。そしていったん灌漑をはじめるとやめることはできなくなります。
■社会関係が格差を拡大
ここまでは自然の環境が生み出す格差で、しかたのない面があります。社会関係によって是正されればいいのですが、実際には社会関係が格差を拡大することが多いのです。
最近、黄土丘陵や山区で井戸や湧き水が涸れる村が続出しています。水がないと暮らせませんので、数キロ離れた下のほうの村まで、馬車やトレーラーにドラム缶を積んで水買いに通います。灌漑用に掘った井戸の水ですが、それがドラム缶1本3元とかで、都市の水道に比べてもずっと高い。売るほうにも言い分はあります。井戸を掘るのに元手がかかっていますし、ポンプアップには電気代がかかります。
高所の村で水が涸れるのは、下の村で井戸を掘り、灌漑に水を使うことと関係があるかもしれません。地下の水脈は広い範囲でつながっているわけですから。そうだとすると、下の村が上の村を補償すべき話かもしれませんが、現実はその逆です。理不尽なことですが、この世の中は理不尽に満ちており、これだけを問題にするわけにもいかないでしょう。
改革開放の四半世紀で中国の経済は大きく発展しました。欧米や日本などが数世代をかけた工業化、現代化を、中国は一世代のうちに実現しようとしているわけですから、「世界の奇跡」といっていいでしょう。日本の報道はそのような場面にかぎられますし、北京など都会の人も問題を感じていないようです。
しかし光はかならず陰をともないます。光が強ければ陰もそれだけ濃くなります。最大の陰が格差の拡大と環境破壊でしょう。そして、どこの国どこの社会でも問題は辺境の貧しい地域でまっ先に顕在化するものです。日本にも水俣病やイタイイタイ病などの経験があります。
それらの地域に発信力があれば、社会は問題に早く気づき、方向転換が容易で、払う犠牲も軽くてすむでしょうが、現実はそうではありません。為政者やマスメディアが関心を払えばいいんですけど、それも期待できません。仮に報道があったとしても人びとに関心がなければどうしようもない。中国の都市住民が農村に関心を払わないのは、じつに徹底しています。
現在、中国の指導部は農村問題の解決に全力をつくすといっています。しかし現在のような格差が生まれたのには解決の容易でない多くの原因があります。問題の重要性は以前から指摘されながら、事態は一段と悪化してきました。原因があるから、結果があります。その原因を取り除く具体的な努力こそ重要でしょう。
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