中国レポート(9)
中国での自動車ビジネスの経験      広州ホンダ有限公司元総経理 門脇 轟二    

1.はじめに
私は大学卒業後約40年間ホンダで海外営業の仕事を中心に仕事をし、その内13年間欧州、北米に駐在、最後の11年間中国に駐在した。
5月に中国に行って、最近の中国の自動車市場の動きについて実感すると同時に、東風日産の花都の工場、建設中の広州ホンダの第2工場を見学して来た。先ず日系企業の動き、最近の中国の自動車市場の状況から話を進めたい。
2.日産
東風日産の花都工場は、広州市の北方約20キロの花都区に位置している。この工場の前身は雲豹汽車で、日産のブルーバードをベースにパトカーを生産していた工場であったが、1998年の朱鎔基首相の行政改革の一環で事業継続出来なくなり、東風汽車に売り渡した。その後東風汽車は2000年の初めにこの会社と台湾の日産系の会社裕隆汽車とで風神汽車と言う合弁会社を設立、サニーの生産を行っていたが、今回の日産との全面提携に当りこの工場を合弁会社に取り込んだ。
 
東風汽車と日産の関係は、元々東風がルノーと商用車の提携を摸索していた所、日産が乗用車を含む全面提携を提案したもの。

東風汽車は日産との提携に当り、まず東風汽車工業投資有限公司と言う持ち株会社を設立、2003年6月その傘下に元の東風汽車本体の主要部分を東風汽車有限公司として、資本金の50%相当を現物出資の形で、日産は50%を現金出資で、資本金167億元(2400億円)の合弁会社とした。更にこの会社の下に東風日産乗用車公司と東風日産商用車公司を設立、この花都工場は襄?工場と共に東風日産乗用車公司の両翼を成している。
花都工場は新車体工場を2004年5月に操業開始、第1期投資額18億元(252億円)、年産能力15万台、敷地面積は93万平米、建屋13.3万平米、従業員約2千名、サニー、ティーダを生産、2006年末には27万台の能力となる計画。エンジン工場は車体工場に隣接しており、2006年2月末に竣工、投資額30億元(420億円)、敷地面積は39万平米、生産能力18万台、08年には36万台に能力を拡充する計画との事。
東風日産の2006年の販売計画は更に2モデルを追加して20万台としているが、生産能力は39.5万台となる。東風日産全体で08年には生産能力を50万台(一説には62万台)にする計画がある由。又乗用車公司のすぐ横に敷地面積約20万平米の東風日産乗用車技術中心が稼動している。
3.トヨタ 
広州豊田汽車有限公司は2004年に開業、広州市の中心より南東60キロに位置する南沙開発区にあり、工場のラインオフ式典を5月23日に行ったばかり。総投資額508億円、敷地面積230万平米、初期の生産能力は10万台でカムリを生産。
トヨタの中国進出は、1972年、当時の「周4条件」に日本の大手製造業として初めてサインをし、尚且つ台湾、韓国の提携先と手を切ってクラウン、トラックの完成車輸出を開始。これは日本の大手企業が直接中国貿易に乗り出す魁になった大事件であった。それ故に1980年代に入って上海汽車が自動車の技術を導入し外資との合弁に踏み切るに当って最初に声を掛けたのはトヨタであったが、不幸にして当時の日本の自動車業界はアメリカでの現地生産に社運を賭けている時期であり、さすがのトヨタも中国にまで手が及ばなかった。以来ほぼ20年間トヨタは中国での本格的な現地生産が出来ず、2000年に入ってトヨタは天津汽車と合弁会社を設立。その後、天津汽車を第一汽車の傘下に組み込み、第一汽車との広範な提携関係に転換、更に広州汽車との提携まで発展させた所はさすがトヨタと言って良いのではないか。 
第一汽車との合弁会社、天津一汽豊田汽車有限公司は天津、長春、成都に4つの工場を持ち、クラウン、カローラ、ヴィオス等を生産、生産能力は24万台。2010年には50万台規模に達する計画。
広州汽車との合弁会社、広州豊田汽車有限公司は09年に立ち上がる第2工場を含め2010年には40万台規模に能拡。トヨタ全体で2010年合計90万台の生産規模を目指している。
4.ホンダ 
ホンダの4輪車については1990年頃から完成車輸出を進める一方、1994年に東風汽車と将来4輪完成車の生産を前提に4輪部品生産の合弁会社、東風本田汽車零部件有限公司を設立。その後、専ら中国サイドの事情で完成車生産に発展出来ず、やや手詰まり状態になっていた矢先の1996年末広州プジョーの話が持ち込まれる。この経緯については後ほど触れるとして、1998年7月、広州乗用車プロジェクトとして、広州汽車と完成車、東風汽車とエンジンの合弁会社を設立、当初3万台規模でスタート。その後5万台、12万台と能拡を続け2004年に24万台体制を確立。ここではFIT4ドア、5ドア、ACCORD,ODESSAYを生産。第1工場の敷地面積はエンジン会社も含めて72万平米。
更に2006年9月には第1工場の東約30キロの増城市に、生産能力12万台の第2工場を稼動させる。この工場の敷地面積は100万平米。
又ホンダは広州地区とは別に2004年には東風汽車と、懸案であった完成車合弁会社、東風本田汽車有限公司を湖北省の武漢に設立、3万台からスタートして今年4月に12万台体制を確立、CRV,CIVICを生産。従ってホンダ全体の2006年末時点の生産能力は48万台に達する。(ホンダはこの他に輸出専用工場、本田中国汽車有限公司を2005年より広州輸出加工区に立ち上げて、現在ドイツを中心にヨーロッパに輸出を進めている。この生産規模は5万台。)
5.日本勢 
この様に日本のトップ3社で2006年末時点の生産能力は111.5万台に達しており、これに鈴木24万台、マツダ10万台、三菱12万台を加えると150万台を超える生産規模となる。勿論欧米勢も昨今極めて積極的であり、VWもGMも2010年に向けて夫々100万台の生産能力を目指していると言われている。
特に日本勢の広州地区の集積度は顕著であり、2006年末の生産規模は73万台だが、このままで行くと10年には3社合計で120〜130万台に達することが予想され、広州市が言う「中国のデトロイトを目指す。」のスローガンは極めて現実味を帯びて来ている。
当然の事ながら完成車メーカーの進出、能力拡大に合わせて部品メーカーも多数珠江デルタに進出してきており、広東省及び広州市の経済に非常に大きなインパクトを与えるまでに成って来ている。
6.中国の自動車市場
今年1〜4月の中国の自動車販売は前年比33.4%増の240.7万台、その内乗用車は前年比49.7%増の171.9万台と大方の予想をはるかに上回る売れ行きを示しており、このペースで進めば、2006年度は自動車全体で700万台、乗用車で500万台を超える事は先ず間違いない所であり、中国は日本を抜いてアメリカに次ぐ世界第2の自動車市場となる。
乗用車の主要メーカーについて2006年1〜4月の動向を見ると、上海GMが前年比79.2%増の129.8千台でトップ、以下上海VW、奇瑞、一汽VW、北京現代、広州ホンダ、一汽トヨタと続く。ここで顕著なことは、従来のVW勢が大幅にシェアーを落としているのに対し、(2002年VW勢は40%以上のシェアーを持っていたのに対し、2006年1〜4月では僅か12.4%)GM、韓国現代が躍進、国産メーカーの奇瑞、吉利も大幅にシェアーを伸ばしている。これはガソリン価格の高騰、4月からの消費税の改定、大都市の小型車乗り入れ規制の解除もあり、市場の拡大と共に小型車シフトが顕著になって来ている事が大きい。
7.広州乗用車プロジェクト
広州乗用車プロジェクトの話は、1996年末既に提携関係にあった東風汽車から当時北京に駐在していた私の所に持ち込まれた。
曰く、「広州プジョーからプジョーが撤退するが、その後をホンダと東風で組んで引き継がないか。広州プジョーは(三大三小)の(小)の一つで生産規模は3〜5万台で比較的小規模だが如何か。」と言うものであった。 
ともあれこの話を聞いて私は大変興味を持った。と言うのは、
〜1.当時の中国の乗用車の市場規模は約50万台、大半の乗用車の使われ方は官公庁、国有企業の公用車及びタクシーで、個人ユーザーは僅か20%程度であった。然しながらもし中国の自動車、特に乗用車市場が今後大きく発展して行くとすれば、改革開放、市場経済化の流れに乗って新たに登場して来るであろう若き起業家を中心とした個人ユーザーが牽引車になるはずであり、そうしたユーザー方が求めるものは価格は少々高くても最も新しい豪華なモデル即ち私共で言えばACCORD。このモデルを現地生産出来れば上手く行くのではないか。
〜2.輸入車のACCORDは輸入関税が80%であったが故に末端価格が42万元前後(約600万円)と高額であったが、それでも様々なルートを通して年間15千台前後中国に輸入され、市場からかなり高い評価を得ていた。もしこの車を中国で生産し政府の要求する国産化率40%を達成すれば、輸入部品の関税は40%になる。そうすれば輸入車より10万元以上安く値付けが出来る筈であり、そうなれば輸入車の倍の3万台位は売れるのではないか。 
〜3.中国での自動車販売の体制は、社会主義計画経済の影響が色濃く残っており、夫々の大口ユーザーの希望に沿って代理店を通して供給すると言う考え方で、車の維持、修理はユーザー自らがするというのが常識であった。然しながら、我々が考える個人のユーザーを対象にした場合、車の維持、修理が極めて重要である事から、サービスを中心に完成車の販売、補修用部品の提供、ユーザー情報のフィードバックを一体にした四位一体の特約販売サービス店を展開出来れば上手く行くのではないか。
以上の様に考えこの事を本社に報告、このプロジェクトはスタートした。
その後1997年年初から交渉が始まり、11月に基本協議書に調印、1998年5月に合弁契約書等を締結、1998年7月開業の運びとなった。
8.広州乗用車プロジェクトの成果
広州乗用車プロジェクトは当初3万台から「三大三小」政策の考え方に基づいて5年間で5万台規模にする事を目標にスタートした。然しながら、投入したACCORDの市場評価は高く、99年に1万台、2000年32千台、2001年52千台、2002年59千台、2003年117千台、2004年202千台、昨年2005年230千台と7年間で累計702千台を生産販売した。 
何故この様な結果を齎したのか、                                                    〜1.合弁交渉を重ねていく段階で、双方の意思疎通が図かれ、企業目標を明確に出来た事。その一つは合弁に当って、日中双方の幹部で社是、運営方針について議論をし、ほぼホンダの考えに沿って意思統一出来た事。
開業初日より毎朝4人の日中の総経理、副総経理で朝礼を行い様々な議論をした事。ここでお互いに約束した事は「朝礼の中ではお互い率直に話をする、当然お互いの背景も違うので時には意見が合わず喧嘩に成る事もあるかもしれない。但し、この部屋を一歩外に出て、社内外に発信する時は意思統一した事のみとしよう。」この事は私の在任中ほぼ守られたと言って良い。                  組合についても、私は組合の委員長に「毎週月曜日に開く部長会に出席してそこで会社の方針を一緒に聞いて欲しい。もし意見があればその場で言って頂いて結構。」と提案した。お蔭様で組合との関係は良好で、以降の増量に伴う残業、休出等にも積極的に協力して貰う事が出来た。                                          この様に持って行く為には会社の経営を限りなくガラス張りにする事が重要で、決裁事項も私の部屋で報告を受けるのではなく、関係者全員参加の評価会形式で進めた。この様に全てをオープンにする事で、相互の理解、信頼関係が生まれ、ベクトルを一つの方向に纏めることが出来たのではないか。又、仕事に取り組む姿勢についても、常に目線を同じにして仕事の仲間として取り組むことも重要であった。「この会社は確かに日中の合弁会社ではあるが、我々が生産しているのはホンダの最新のモデルでホンダの技術で世界最高の品質を実現している。その意味で我々は日本でも中国でもない世界の他のホンダの工場の人たちと同じホンダマンだ。」を提唱した。更にこの会社が元広州プジョーであった経緯も踏まえて、職場環境の改善、従業員の処遇の改善を第一に取り組んできた。食堂、ロッカー、トイレの整備は勿論の事、賃金水準についても3年計画で広州市の製造業の平均を上回ることを目標にしたプランを明示、(これは結果として2年半で達成)安定した賃金引上げと業績を反映したボーナスの支給のコンセプトを確立した。

この様に日中経営陣の意思疎通を良く社内の風通しをよくした事が第1の要因であると思っている。
〜2.工場改造に当っては、先ず工場環境の整備から初めて、既存設備を最大限に活用する事を重点目標とした。ホンダには海外事業の展開に当って「2輪4輪のシナジー効果を発揮する」「小さく生んで大きく育てる」と言う考え方がある。前者は、未知の市場に出て行くに当ってはリスク最小の観点から先ず比較的投資規模の小さい2輪でスタートし、その経験を踏まえて4輪に発展させて行くと言う考え方であり、後者は小規模で立ち上がり、その後市場の動きを見ながらステップバイステップで拡大して行くという考え方である。
と言うのは、広州では1992年から五羊ホンダと言う2輪の合弁会社をスタートしており、この会社は1998年当時既に30万台以上の生産、現調率も90%以上を達成、私自身もこの会社の董事長を数年勤め、かなり広州市のトップの人たちとの交流の経験があり、更に、日本から主要部品メーカーも広州地区に進出して、現地での企業経営の経験を積み重ねており、4輪生産をするに当ってこれら部品メーカーの経験は貴重であり、短時間で40%の現調率を達成できた大きな要素と言って良い。      又、ホンダには生産の考え方として「三現主義」「三不主義」と言う言葉がある。「三現主義」の「三現」と言うのは現場、現物、現実を表しており、何か問題が発生したら先ず現場に駆けつけ、現物を見て、現実的に解決すると言う考え方であり、「三不主義」と言うのは、不良品を受け取らない、作らない、流さないと言う言わば品質管理の基本となる考え方である。これらを具現化する過程で私とほぼ同年代の大ベテランの技術屋が力を発揮した。彼等の多くは1963年鈴鹿製作所が立ち上がった頃にホンダに入社した人たちで、言わば鈴鹿の成長と共に、あるいはホンダの生産技術の発展と共に育ってきた人たちであり、非常に幅広い領域を経験しており、この様に非常に困難を伴うホンダでも経験の殆ど無い既存工場の改造と言う事業には得って付けの人たちであった。彼等が率先垂範、具体的に手や身体を動かして指導して行く姿は中国の人たちの琴線に触れたのではないか。 
〜3.販売体制については当初中国の人たちは自分たちで別会社を作ってやる事を考えていた様であった。と言うのは当時VW等の先達メーカーの合弁は事実上生産のみで、販売は中国側が行っていた。私は個人ユーザーに焦点を当てた販売体制でしかもメーカーとユーザーの距離を出来るだけ短くしたいと言う観点から、合弁会社が直接管理する四位一体の特約販売サービス店を提案。これがこのプロジェクト成功の決め手の一つになった。
もう一点当時の中国では自動車の販売権は国有企業系の販売会社が握っており、一般の企業が手に入れるのは至難の技であった。そこで我々はこの四位一体の特約販売サービス店のコンセプトを中央政府の自動車政策担当者に説明し、最終的にホンダの車に限ると言う条件付きではあったが広州ホンダの推薦する店については販売権を付与するとの承認を得る事が出来た。これが突破口となって現在では250店の特約販売サービス店が全国の主要都市に展開されている。これは広州側の理解と精力的な中央への働きかけなくしては出来なかった事であり、又中央政府の自動車政策担当者の理解なくして実現しなかった事である。
勿論上記の要因だけでなく、例えば個人需要に焦点を当てると考えていた時、1998年朱鎔基首相が、行政改革の一環で政府機構の統廃合、税制改革だけでなく、密輸の根絶による完成車の不正輸入のストップ、持ち家制度、マイカー制度を始められた事も追い風になった。このような改革の流れの中で事業をたち上げる事が出来たのは本当にラッキーであったと言える。
9.当面の課題
昨今の中国は自動車市場の拡大と共に、ガソリン価格の高騰、環境問題の悪化が進
んでおり、中央政府は4月1日より自動車の消費税率の改定を発表。乗用車については従来の5%から、1500CC以下は3%、1500〜2000CCについては5%変わらず、2000〜2500CCについては9%、2500〜3000CCについては12%、3000〜4000CCについては15%、4000CC超については20%と大幅アップを行い、大都市の小排気量車の乗り入れ制限を撤廃、更にガソリン価格も3〜5%値上げした事により、燃費の良い小型車の売れ行きに拍車を掛ける事になった。                                                                  更に北京では今年の1月より他省に先駆けてユーロ3の排ガス基準を導入(広州市も07年1月よりユーロ3導入予定)。各社は省エネと環境に対応する商品の投入を迫られる事になった。

その結果、各合弁企業は研究開発センターを設立、一方中国側パートナーは自主開発モデルの計画を発表。今後この問題を双方がどの様に調整をして行くのかが当面の課題となって来ている。
中国の環境問題、エネルギー消費の問題は、今や一中国の問題に留まらず、即日本に深刻な影響を与える事を考えると、日本側として技術の出し惜しみは今や罪悪であり、積極的な協力こそが双方の長期的且つ緊密な提携関係を育てて行く事になると考えるべきであろう。