中国レポート(6)
いま、なぜ「東アジア共同知」なのか      神戸大学国際文化学部 教授  王 柯    
■民族主義高揚の背景
 ここ数年、中国の急速な経済発展を背景に、中日両国間における経済交流が加速し、両国経済の相互依存がますます強まっている。にもかかわらず、両国間の政治関係が急速に冷却し、中日両国の首脳による相互訪問は途絶えたままである。さらに憂慮すべきは、こうした政治関係を背景に、両国の社会に互いを敵視する民族主義的風潮もますます強くなり、それがまた政治家を刺激あるいはけん制する要因となる、という悪循環に陥りつつあることである。
 
 2005年の春、中国各地で起こった「反日デモ」は、まさにこの悪循環の頂点に達したものであろう。デモ、とりわけその中の過激な行為に関して、大多数の中国人は反対している。しかしこうした事件がこの時期に起こることについては、ほとんどの人が理解を示していることも事実である。それは、2004年末から中日関係においていくつかの出来事が、中国国民に嫌な思いを持たせたからであった。

 2004年末、日本政府が数年後に中国に対するODAの打ち切りを中国政府に言明した。日本政府によるODAが国家間戦争賠償を放棄した中国に対する日本の気持ちであると、多くの中国人はそう考えていた。2005年2月9日、日本政府は尖閣諸島の魚釣島に日本の政治団体が建てた灯台の所有権の国への移転手続きを完了したと発表した。2月中旬にアメリカのワシントンD.C.で行われた日米会談(2プラス2)では、台湾有事の際の日米の共同戦線が確認された形となった。3月18日に第二次世界大戦中に旧日本軍の従軍慰安婦にされたとして、山西省の女性2人が日本政府に損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は原告の控訴を棄却した。4月5日に文部科学省が「作る会」による歴史教科書の検定合格を発表した。同じく4月に中国で反日の動きが高まっている最中に日本政府は東シナ海の天然ガス田開発の手続きを始めたことを発表した。

 こうした事件以外、さらに二つの出来事が中国国民を刺激した。それは国連のアナン事務総長の日本の常任理入り後押し発言と韓国各地で起こった「反日デモ」であった。3月21日の国連安全保障理事会の拡大などを提言した国連改革報告書についての記者会見で、アナン氏は「常任理事国が6カ国増えた場合、一つはもちろんアジアの国である日本に行く」と説明した。この発言は翌日にあわてて訂正されたが、各国同様、中国国内でも大きな波紋を広げていた。かつての侵略戦争に対しいまだに正しく認識できない日本に、なぜ安全保障理事会に入る資格があるのか、と多くの中国国民はアナン発言に反感を覚えた。そして3月に島根県議会が「竹島(独島の日本名)の日」制定の条例案を可決させたことで、韓国各地で同時多発的に反日デモが行われた。日韓友好条約調印40周年にあたる年に日本で大きな韓流ブームが起こっているにもかかわらず、人口が日本の半分にも届かない韓国の国民が竹島問題で示した反応は中国の国民に大きな影響を与えた。

 中国国民の国際政治に対する関心の高まりは、もはやだれも否定できないことである。そして、日本軍国主義の侵略対象になっていた過去があるゆえに、対日関係における民族主義的感情がいっそう強い。ところが、国民性から言えば、中国人は本来「政治的」な民族ではなかった。たとえば、孫文は1924年にその有名な『三民主義』という著作のなかで、むしろ中国人の政治に対して無関心である国民性を批判している。「中国人がいちばん崇拝しているのは、家族主義と宗族主義とである。それで中国には、ただ家族主義と宗族主義があるだけで、国族主義はない。」しかし現在の中国国民の対日認識は、むしろ孫文の唱えた「国族主義」(ナショナリズム)が国民のなかで深く根付いた結果である。

■「東アジア共同知」の必要性
 両国関係における「政治化」は、つまり両国関係を近代国家の構成要因という側面からしか強調しないことは、同時に両国関係を悪化させる要因をも孕む。これは、日本、そして韓国においても同じだといえる。「靖国神社問題」、「竹島問題」、「釣魚島問題」なども同じ構造を持つ。一種の虚像とはいえ、靖国神社を日本の近代国家建設の象徴だと一部の日本政治家は考えている。そのため、戦争を導き出したA級戦犯を祭ることも正当化される、そして他国の歴史教育において「戦争日本」の罪悪を批判すれば、それが「反日教育」だと批判される。

 なぜ他国の民族主義が正しく自国の民族主義が正しくない、他国の近代国家建設が正当であり自国の近代国家建設が正しくないか、という心情、あるいはその反対の思考形態しかなければ、正義か不正義かというレベルで冷静に対話を行うことは不可能である。「近代国家」という言語環境で語られた国家間関係は、必ず「国益」と絡む。明らかに、国際問題においては一国の政治利益に基づいて説明すればするほど、国家間関係を緊張させる。しかし「近代国家」という言語環境では、誰しもそうせざるを得ない。ここで容易に忘れられるのは、「近代国家」という言語環境で語られた「国益」が、自国にとって本当に最大の利益であるかどうかということである。

 ここ数年、「政冷経熱」という中日関係の膠着状態を打開するために、中国では対日関係において歴史問題の追及を緩めて現実の国益を重視すべき、という「外交新思考」が提言された。しかし現実は「外交新思考」がむしろ中国国民の戦争に対する記憶を強める結果を招いた。その理由は、相手の戦争犯罪に理解を示し、自国民の愛国心に冷たいように見えたからである。

 人類にとっては、対立と緊張が走る国際関係より、当然平和的な、調和的な国際社会の環境が望まれる。現在の東アジア地域の国際関係を鑑み、中日両国の国民、そして東アジア社会の民衆として、ともに思考形態を転換させる時期に来ていると感じられる。つまり、両国にとって最大の利益は何かという点に着眼し、そしてそれを実現させる方法を見つけ、実行していくことである。戦後60年の間、日本国民は平和憲法のもとで戦争が起こらないように努力し、技術立国の国策の下で経済を発展させ、よって日本を世界第二の経済大国にまで仕上げたのである。日本の技術力は、今日世界中の人々に広く認められている。そしてここ20数年間、中国国民の商品社会への適応能力が抜群であることが立証され、中国の経済発展がこれからもしばらく続くことはますます自明のことになっている。中日関係において「和則両利」(仲良くすれば双方が利益を得る)という相互補完関係にあり、中韓・日韓関係においても同じ構図で理解できる。  

 中日両国は、そして東アジア地域における衝突を引き起こす要因を減らして冷静さを取り戻し、常に両国にとって何が有利であるかを考えて相互信頼の基礎を築いて、はじめて最大の利益を得ることができる。それを実現するために、国家間関係における「弱政治化」や「脱政治化」が必要である。「近代国家」という言語環境から脱出し、相互の利益になるような東アジア地域関係を構築する方法は、中日両国、そして東アジアにおける「共同知」の発見や再発見である。

■「東アジア共同知」の可能性
 「知」(knowledge)は、一民族の生活の知恵や一国家の政治的理念ではない。「共同知」とは、自然や人類社会を認識する知識、学術、学問の理論と範疇、及び倫理観、価値観の次元で双方の共通点及びその発見を指している。「和」、「合」、「中庸」といった社会的文化システム、文化の相互伝播の史実……。長い歴史のなかで、中日両国、そして東アジア諸国は友好な関係を保ち、人類思惟のレベルにおいて東アジアに本来共通、共有してきた理性、知恵、理念、学術と学問の枠組み、価値観を共通、そして共有していた。それはわれわれ東アジア地域の「共同知」である。「共同知」の再発見を通じて、東アジアにおいて平和友好の歴史こそが長いことを想起させる。そして将来、相互利益になる方向性として、戦争責任も否定せず、排他的で過激な民族主義でもない、常に東アジアに共通する文化基盤を意識することは、「東アジア共同知」を提起した狙いである。
 
 疑いなく、東アジア諸国の間に共通、共有できるような「知」の空間が存在している。換言すれば、中日や東アジアに互いに敵視する文化的素地が本来なかったといえる。「東アジア共同知」という視点から、われわれは数多くの先駆者を見つけることが出来る。孫文、犬養毅、魯迅、藤野厳九郎、周恩来、松村謙三、廖承志、高崎達之助など。彼らは互いに人格を尊敬しあい、大局は何かを常に考え、中日両国、そして東アジアの連携と友好のために努力したのである。ここで魯迅と藤野先生の話だけを取り上げる。

 1904年に仙台医学専門学校に留学した魯迅は、1906年に仙台医学専門学校を離れてから、1909年に中国に帰国し、1926年に「藤野先生」という文章を執筆した。つまり、彼は藤野先生と別れて20年後に「藤野先生」を執筆したのである。この文章の中で、魯迅は藤野先生のことを、「私が自分の師と仰ぐ人の中で、彼はもっとも私を感激させ、私を励ましてくれた一人」と述べ、そして「彼の写真だけは、今なお北京のわが寓居の東の壁に、机に面してかけてある。……」

 魯迅は中国で「民族の魂」、「民族の良心」と喩えられ、階層、党派と時代を超えて国民から敬愛されている。しかし魯迅の生涯敬愛した師は、なんと一人の日本人である。これは、共通する思惟、共有してきた価値観と文化教養を背景にしてはじめて成立する関係である。「藤野先生」を通じて、われわれは容易に魯迅と藤野先生の「共同知」を発見することができる。それは、東洋的現実主義、平等主義と平和主義である。日本留学以降の魯迅、とくに晩年の魯迅の生涯から見ても分かるように、魯迅が日本人との間の「共同知」がありうるという信念を抱いていたことが分かる。

 漢字の「知」は、「知る」と「つかさどる」の二重の意味を持っている。「共同知」の目標は、東アジア地域の独特の精神文化構造を基礎に良い隣人関係を形成させることである。「共同知」の発見と再発見によって、賞賛と齟齬が交わる「中国の日本観」や「日本の中国観」というような考え方が超越され、中日両国および東アジア地域の国際関係に、対立、戦争、侵略と植民地支配の歴史を乗り越える方法が提供される可能性も秘められている。そのため、われわれはまず東アジア地域に共通、共有できる独自の知的空間の存在を確認する作業を始めなければならない。そして、新しい時代に対応し、さらなる新しい「共同知」の形成も求められている。このような作業の第一歩として、トヨタ財団と浙江大学が主催し、東アジア共同知研究会と中国浙江大学言語と認知研究基地が企画した国際シンポジウム「東アジアの教養人と共同知」が、2005年11月4日から6日まで中国浙江省杭州市で開かれることになった。
 (2005年8月6日の関西中日関係学会公開フォーラムにおける講演を元に整理した)。