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「和諧社会」の建設というスローガンがあらためてとりあげられ、《中共中央の社会主義社会構築の重大問題に関する決定》をめぐって、中国でも日本でも議論がとびかっているようである。
この《決定》は昨年、中共16期6中全会で採択されたものである、2006年10月8〜11日。
しかしもともとはその2年前にすでに提起され、20世紀に、全面的に小康社会を建設するという発展目標において、和諧社会の建設は重要な位置を占める(中共16期4中全会、2004年9月16〜19日)と指摘されていた。
階級概念が否定され、民主主義への移行、また、富の再分配が謳われていた。
これは社会福祉の充実が、約束されているのだととれる。
しかし、実際にこれらの約束(いわば公約)が実現したかどうか。いまのところ肯定的な答えはむずかしいだろう。
そこで、昨年の《決定》が採択されたのであろう。この《決定》を一言でいえば、「人をもって本(もと)とする」(以人為本)、ということで、これは法制を健全化し、管理を秩序化しようとするものだといえる。
しかし、「本にする」人とはどのような「人」なのか、必ずしもはっきりしない。階級を否定し、階級闘争を否定した以上、貧農とかに基準をおくことは、もはやできないであろう。
胡錦涛―温家宝体制は、ここでは「人」をあらかじめ定義せず、一般の議論にゆだねる態度をとっている。要するに、「人」は「法」を守る、「法」に守られる存在だとして、政治を推進しようというのであろう。
めざすのは、「調和のとれた社会」であるが、じっさいには、貧富の格差、治安の悪化、失業、腐敗、生活苦、土地の収用などの問題が山積し、デモや暴動を誘発している。
いまの政権にたいする批判をぜんぶまとめてこういう形で認めた、ともとれる。
「和諧社会」のうえに、「社会主義(的)」と冠しているから、「社会主義」のタテマエは棄てないのである。
「和諧社会」とはなにか、を知りたくてわたしは北京の友人に依頼して参考書(パンフレット)を送ってもらった。
それをみておどろいたが、送られてきた一冊はかつてのマルクス・レーニン主義を正統として、「和諧社会」を説いていたのである。
《社会主義核心価値体系教育読本》(中央文献出版社 2007年3月)。編著者は「本書編写組 金サ 主編」。
これはこれで一つの立場を示すものだろうが、秋に予定されている中国共産党の第17期大会もあまり大きな変化はないのかもしれないと考えたのだった。
しかし、当面する社会問題をズラリとならべた率直な態度は評価できよう。問題はいかにこれを克服し訂正していくかということだろう。
ここで、わたしは予ねて考えていた、「中国における社会主義は、包(パオ)である」という説を述べておきたい。包というのは請負(うけお)いである。
社会主義についてはこまかく議論が展開されている。経済面ではソ連型の計画経済で5ヶ年計画を繰り返すのが特長で、市場経済を導入した中国も、いまだに5ヶ年計画を繰り返し(だから社会主義なのだろう)2006−10年、第11次5ヶ年計画が進行しているのである。
そこでの数字はたしかな根拠にもとづいて決定されたものだろうが、わたしは、くりかえしていえば、中国における社会主義というのは、結局は請け負いで、上から下へ生産目標がおろされ、その目標さえ達成すれば他は問わないということになっているのではないかと思う。
中央政治局の局員も、毎週集って会議しているのでなく、めいめいが、めいめいの分野について請け負っていて、中国語でいう「包(パオ)」で、「イーショウ・パオパン(一手包辧)」なのではないかという疑問をもっている。日本の内閣も、同じことで、各省庁が自分の縄張(なわば)りをしっかり抱え込んでいるのだから、いちがいに中国を非難することはできない。
わたしがこの問題に気がついたのは、日本に亡命していた郭沫若(かく・まつじゃく)が盧溝橋事変が発生してひそかに帰国し、蒋介石に面会したときの情景を郭沫若の文章によって読んだときである。
蒋介石は対日宣伝の仕事を任せるといい、いくら必要かと質問したのだった。郭沫若がある金額をいうと、即座に決定された。任用する人材の月給がいくらか、事務所費用がいくら、宣伝活動費がいくらなど、こまかな明細はいっさい問わないのである。
1930年代に、上海の出版界は左翼の出版がさかんだったが、やはり同じように、資本家が編集部の月給、経費、原稿料の一切を一括して編集長に任命した男に渡したようである。
いわば原稿料をピンはねした分が、編集長の月給だったということになるかもしれないが、一括支払いが「包」である。
『紅楼夢』には貴族屋敷の実権をにぎるのが祖母であることがみごとに描かれているが、この祖母が庭をつくろうと決心すると、一族のなかの仕事のない青年を選んで、費用を一括して渡す場面があって、これも、わたしのヒントになっている。
国家の税金も省に割り当て、省は県に割り当て、県は宗族に割り当てたのが清朝だった。宗族のながれで貧乏人は税金が少なかった。税務署はいらないのだ。
いつだったか、山東省の経済の発展がめざましい成長をあげた年があった。すると、山東省の書記が2名も中央政治局入りをした。かなり以前のことで、わたしの記憶にあやまりがあるかもしれないが、中央の指導部は、地方の指導部に任務を請け負わせ、その成績に目をくばれば、こと足れりとしているのではないか。
おそらく清朝も、その前の明朝も、こういう請け負いでやってきたのだ。
新中国が成立して、社会主義を採用したのも、当時は工場の数は限られていたから、これを国有化して、製品の価格に税金を含めて販売すれば、国家の財政はしのげた。
抗日戦争、さらに国民党との内戦のあと、新国家が出発したのだから、税金を取り立てようにも税務署員もいなかった。税金を算出しようにも、企業にも個人にも、伝票も領収書もない。このなかで国民党からひきついだ政府機関の職員や軍隊の給料を支給する必要があったのだ。国有工場に「包」をさせれば一挙両得、三得、四得だったのである。
理論的な分析は必要であるが、実情についても十分な知識あるいは常識が研究者には必要だろう。 社会主義については、日本でもこまかな議論がおこなわれ、その議論にもとづいて中国の社会主義を評価〈あるいは否定する〉ことがおこなわれた。しかし、すでにのべたように、中国的な慣習のもとで中国の社会主義は実施されたという点がみおとされているとおもう。日本の学者の視点には、かなりモンダイがあるとおもうのである。
(2007/9/11しるす、9/21補足)
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