おじゃまします(50) 第二部<わが社の中国ビジネス−6>      
株式会社スワニー        リポーター 南島順子 
(株)スワニー 三好鋭郎社長
海外進出の老舗企業
 約束したホテルのロビーに現れた(株)スワニー、三好鋭郎社長は、ちょっとモダンなデザインの車椅子に乗って颯爽と登場した。
 リトアニアで開催された第90回世界エスペラント大会から帰ってきたばかりという。
 世界中をその軽快な車椅子で走り回っている毎日だ。
 1939年に現在の香川県東かがわ市で創立、スポーツやアウトドア用の手袋を生産してきた(株)スワニーは、1970年代に入ると国際競争力を強化するため、(株)韓国スワニーなど3社を設立して、韓国にその生産拠点を移した。
 さらに1980年代には拠点を韓国から中国ヘシフト。1984年に中国スワニー(江蘇省昆山市)、1988年に長城スワニーなどを設立。
 以来25年の間に手袋の生産・輸出国から輸入国へ転換、現在はファッション、スポーツの国内事業部と海外の顧客を対象とする国際事業部を展開。

バランス崩れる労働需給
 手袋作りは労働者の確保が重要だ。
 10年以上の経験をもつ人でなければできない0.5mmの世界の技術を要する作業のため、熟練労働者を大事にしなければならない。
 ところが中国中が不動産ブーム、バブルの様相を呈し、労働需給のバランスが崩れてきている。
 さらに反日ブームが追い討ちをかける。
 工場を奥地に移転させても、田んぼが一夜のうちに銀行街になり、地元出身の社員は皆アパートを買い転売して豊かになっていく。
 馬鹿らしくて安い賃金では仕事ができない。
 市や県は不動産で大儲け、さらなる工場移転を要請してくる。
 その上何千人もの従業員を使う海外企業がどんどん立ち上がり、従業員確保はなおさら困難の度を増してくる。
 現在(株)スワニーは南京から南東へ130kmの青陽県の「奥地」に新工場を稼動させた。
 日本の材料を使ったものとかデザインの良いものなど、製品を高級品に特化させ「スワニーブランド」を作り上げている。
 猛スピードで育つ中国経済、中国が大市場になる可能性はより大きくなってきた。
 三好氏は中国を生産国として考えるのが困難になってきている反面、販売市場としては相当大きくなると、中国を、再び市場として考えるようになった。

ニーズから生まれた新商品
 手袋の次の商品として、三好氏はウォーキングバッグと車椅子を考案し、新たな戦略商品として売り出そうとしている。
 彼が小児麻痺にかかったのは生後6ケ月のとき。
 以後右足が少し不自由になったが、50歳頃までは支障はさほど感じなかった。
 55歳頃から障害のある足に少し不自由さを感じるようになった。そこで年中海外を飛び回っている生活から生まれたアイデアとして、杖とカバンを一つにしたウォーキングバッグを考案した。
 4億円ほどつぎ込んだこの開発計画には会社の幹部全員が反対したが、客からの反応は非常に良かった。
 加えて三好氏には絶対成功するという、健常者にはわからない確信があった。
 最後には幹部全員の総入替をしてでも踏み出そうと思い始めた頃、ウォーキングバッグが売れ出した。
 一昨年頃から採算に乗ってきだした。
三好氏が発明した車椅子「ウォーキングチェアー」
たたむと従来のものより体積が40%縮小する

 ところが3年ほど前、長い間良い方の足ばかりに負担をかけてきたため、今度は両足とも不自由になってしまった。
 そこでさっさと車椅子を利用することにした。
 しかし、従来の車椅子は畳んだ時に大きくて車に乗せにくい。飛行機や電車を乗り継ぐのに不便極まりない乗り物である。
 研究に研究を重ね、とうとう機内持ち込みができる超小型の車椅子を考案した。
 ところがこの車椅子、乗り手にはまったく支障なく快適な使い心地なのだが、地上で行動する場合、座席の低い車椅子は自動車の運転者から見えにくくて危険だということがわかった。
 そこで彼はさらに工夫を重ね、2つの特許を有する車椅子を開発。
 たためば従来の幅約35cmのものから20cm幅にすることに成功。体積は45%に縮小することができた。
 彼は今、この車椅子「ウォーキングチェアー」と「ウォーキングバッグ」を両手に抱えて世界に打って出ようとしている。
 発明は自らのニーズから生まれたものが最も強いと言う。
 他の車椅子メーカーの経営者は大半が健常者だから本当のニーズをつかんでいない、不自由さを自分自身の体でわかっている自分だからこそやっていける、と、新規開拓事業に自信のほどをうかがわせる。

困難を肥やしに
 (株)スワニーといえば「NHKのスワニー問題」で記憶のある方も多いと思う。
 どの会社でも海外に進出するにはさまざまな軋轢が生じ苦労していることと思うが、この会社、社長の開放的な人柄ゆえか、結構あけっぴろげに人々の話題に上る問題を提供しているようだ。

 最初は韓国である。
 韓国工場を撤退するとき、労働者達が日本まで追いかけてきて操業再開を迫った。
 100日間400人の人々に取り囲まれ、徹夜の交渉が都合7回にも達した。
 昔の侵略問題まで出て追求を受けたという。
 また例のNHK報道問題が人々に忘れられた頃、昆山工場を合弁から独資企業に転換することになったときも、社員たちは継続で雇用されるにもかかわらず、退職金を要求しストライキに突入した。
 つまり民族の違う相手との仕事はことほど難しいということだ。だからといってこの三好社長はへこたれない。常に明るく前を向いて突き進む。

 「日本では手袋もカバンも作れません。
 結局中国でしかできないものもあるから、反面で中国に感謝しています。
 中国人も非常にしたたかで難しい。さらに政府レベルではどちらかというと押され気味。
 しかし私の経験から言うと、今、政治と経済は離れています。
 そして経済は人々の生活に結びついています。工場の操業が停止したら給料がなくなるのです。
 会社と労働者が一時の間対立することになってしまったとしても、社員と会社は密接につながっているのですから、それが落ち着けばいつかはわかりあえるものだと思っています。
 政治と経済は離れているといいましたが、一方でお互いに密接につながっているものですから、経済の進み方がいずれ政治を変えていくでしょう。
 さらに国際化において言語の問題は大きな壁です。
 言葉が自由に通じると、腹をわって話せますから解決も早いでしょう。
 いま私が情熱をもって取り組んでいるのがエスペラント語の普及活動です。
 今は英語一辺倒の時代で、世界の大多数の国には言語の障壁があり、ますます貧富の差が広がっています。
 本当に人類が平等になるためにはコミュニケーションの平等性が保たれなければいけません。
 私の人生の本当の目標は“儲け”ではありません。
 ウォーキングバッグが売れたらその利益の1割はエスペラントの広報に使いたいと思っています。
 エスペラントがより普及すれば、ベルリンの壁の崩壊よりももっと巨大な世界の言語革命が起こるでしょう。」

 自らの前に立ちはだかる障害や困難を“肥やし”にして、何度たたかれても常に前進する熱血社長、三好鋭郎氏の、強さ、したたかさを見せつけられた今回の訪問だった。