おじゃまします(55) 第二部<わが社の中国ビジネス−12>      
小島衣料株式会社        
リポーター 南島順子
 

 積極的な海外展開
 小島衣料鰍フ社長、小島正憲氏は冒険家のようだ。いや、経営界の格闘家だと言うべきだろうか。
 レディス衣料を中心にしたOEM生産の縫製企業の鰹ャ島衣料は1952年に創業した。1966年、創業者小島正氏が亡くなった。弱冠34歳で、正憲氏はこの会社を引き継ぐことになった。そのころから日本の繊維業界は坂道を下り始めた。42歳のとき、正憲氏は日本での縫製業に見切りをつけ、工場進出先を求めて世界に飛び出した。
 そして17年前、小島衣料は生産基地を中国に移した。1991年に湖北美島服装有限公司、1993年に上海美旭服装有限公司、2001年に上海桜島服装設計有限公司、GRACEMATE LIMITED、2003年には友島上海紡績品有限公司、上海偉馳諮詢有限公司、株式会社ウィズビジネスサポートと、まるで早打ちのガンマンのように次々と工場新設を打ち出した。
 現在、小島衣料の海外事業は主力2合弁企業で5千人、協力工場を含めると1万人の規模だ。全工場に日本人技術者の匠の技を伝授、多品種少量生産が可能な最新システムなどを導入するなど、積極的な展開をはかっている。またCADにおけるパターンメーキングセンターを開設して中国人パターンナーを養成したり、縫製技術のレベルアップを目指してイタリアの技術の直接導入をはかるなど、若い人々を育てることも怠らない。
 そしていま、中国国内の人手不足からの工賃の上昇、エネルギー不足停電による操業支障などさまざまな問題が噴出してきている中で、小島衣料は、あえて、琿春への進出をはかった。200510月操業開始。この琿春工場は2006年12月現在で350人体制となり、新たに琿春経済合作区内に工場用地を確保、1千人規模は目の前だ。近い将来には3〜5千人にする予定だ。

攻めの経営

 小島社長の経営理念は「攻めの経営に徹する」ことだという。35年間、常に「攻めの経営」に徹してきたという。 反日騒動以後、日本企業の中国進出に対する警告なるものがかまびすしい。中国撤退論、チャイナプラスワン戦略などなど。『日本企業は中国から撤退せよ』という本が書店に並んだ。そこには「今ごろ投資を復活する(中国に進出する)日本企業」として小島衣料の名が、実名であげられていた。そして中国を撤退した後に推薦する進出先として、インド、ミャンマー、ラオス、ベトナムなどを紹介していた。
 小島氏はこれに噛み付くように反論する。実は小島衣料では、これらの国々はすでに踏破済みなのだ。全ての国に工場進出の可能性を探り、実際に工場経営もしてきているのだ。20年間、オーストラリア・タイ・韓国・中国・ミャンマーと縫製工場を立ち上げ続けてきた。作った工場の数を数え上げてみると、1年半でひとつずつ工場を作った計算になる。さらにその間、調査のためにベトナム、ヨルダン、エジプト、果てはマダガスカルまでと、さまざまな地に足を伸ばしている。
 そして、大損もし、大儲けもしてきた。ミャンマーでは日系大型工場の進出第1号として5年間にわたり操業、工場を600名規模まで拡大したが、結局のところ完全撤退。ラオスはすでにタイ華僑が進出済み、ベトナムは小国であるゆえに人手不足が眼に見えている、インドは中国との国家体制の違いで問題あり、といった具合に。

中小企業はつぶれるまで頑張れ

 これらの体験から得た結論として「撤退するのは大企業でよい。中小企業はつぶれるまで頑張るしかない」と言う。
 捨て銭が可能な大企業ならば中国以外の国に展開する展開のも良い。しかし資金余裕がない中小零細企業は、企業の存亡を賭けておこなうような莫大な投資や余分な分散投資をせずに、中国がだめになったときは、覚悟を決めてさっさと撤退し廃業すれば良いという意味だ。

さらに小島は言う。「もともと海外に進出するということは、大儲けを前提とした博打です。海外事業はハイリスク・ハイリターンだから、他の会社がしり込みしているような国に進出すれば、たしかに大儲けが可能、しかしそれは危険と背中合わせであり大損をする可能性も高い。大儲けを企まないならば、あえて危険を冒さず現在の地で、全力で延命を図る方が得策です」と。

そして琿春では

 沿岸部で人手が潤沢にある未開発地域である琿春市は、日本海をひとまたぎすると日本の港に到着する、距離の上では日本にいちばん近い沿岸部に位置する。ここは日系の大型工場などがまったく進出していないため、人手の確保が可能である。さらに琿春開発区には、西部大開発・少数民族・対露貿易などの優遇政策が重なって適用されており、外資の進出先としてはきわめて有利である。また日本語を話せる人材が多く反日の雰囲気が少ないこと、電力・水道・蒸気なども安く便利な立地であるなどがあげられる。
 小島衣料は、琿春が数年を経ずして必ず経済発展を遂げるに違いないとにらみ、これに賭けたのだ。
 操業開始から半年後、琿春市は中国中央政府の決定で、ロシアのエネルギー・木材、北朝鮮の石炭・鉄鋼・レアメタルなどの確保のための資源戦略上の拠点として重要視されることとなった。開発区にも民営企業や香港・台湾・韓国企業などが進出してきた。
 懸案事項は、日本海横断航路の問題だ。北朝鮮の羅津港まではトラックで3時間の距離だが、昨今の異常な事態の結果、日本向けの船舶の運航は現在のところ不可能。他方、ロシアのザルビノ港までも3時間だが、そこにもチェチェン人とのからみなど、幾多の問題が横たわっている。
 この地で成功するためには航路は不可欠。そこで小島は環日本海経済研究所の主導のもとに進められているザルビノと新潟を結ぶ航路を2007年後半には開設することをめざして、日中韓露の4ケ国を巻き込んだ一大共同事業戦略をいま着々と練っている。
海外進出は若いうちに
 海外事業の成否は、ひとえに経営者のトップ決済にかかっている、とも言う。経営者が若くてつねに現地で陣頭指揮ができるなら、その経営は順調に進む。ことに海外拠点が2カ所以上に及ぶときには経営者にかなりの体力が要求される、と。
 だから小島氏は60歳を目前にして、今後は若い人たちにいろんなことを教えたいと言う。中国は面白い、中国で事業を展開して、非常に多くの“だましだまされ”を経験してきた。いま私は若い人たちに自分が得てきた経営の駆け引きを教えていきたい。と。
 そのくせ“攻めの経営者・小島”の病気は治らない。もし中国から撤退しなければならなくなったらと聞くと、瞬時に「中東に転出する」という答えがかえってきた。海外でのビジネス展開はハイリスク・ハイリターンが常識。日本企業の大儲けの口はいま、激動の地、中東だ。激動の地に進出することは、生命の危険をともなうが、それを乗り切ってこそ大儲けもできるのだし、ビジネスの醍醐味を満喫できる、と楽しそうに語る。
 今年1月、この号が発行される頃、彼はエジプト・リビア・その他に観光旅行している。単なる“観光旅行”と言いながら、彼はきっといまごろ、リビア中東の経済界の高官達を相手に、笑って握手をかわし、工場立ち上げをさりげなく話題に出して、その微妙な駆け引きに、さぞやゾクゾクとした快感を味わっていることだろう。