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撤退ではなく拡大 「御社が中国から撤退、という噂が一時巷に流れていましたが、国内販売もかなり順調と伺っていますが――」
「業績不振ではなく拡大ですよ。転進拡大!」
訪問一番の質問を、資生堂ホネケーキ工業鰍フ仁科哲夫専務取締役(上海華?透明美容香皀有限公司副董事長)は、ほがらかに笑い飛ばした。 上海華?透明美容香皀有限公司のこの4〜5年の売上利益は上昇に上昇を重ねている。生産数量、売上額はここ5年間で数倍に伸びている。連続4年間輸出型優良企業として、上海市徐わい区から表彰もされている。2005年2月からは台湾G、日本、上海の3社合弁事業形態で事業を拡大・継続、合弁期間も20年延長となった。この新しい合弁会社の最大の問題点は工場が狭く、工場インフラや生産能力が小規模なことだという。ここ2〜3年はユーザーからの注文を受けきれない事態。そのため現在、工場を移転し、規模を拡大しようと検討中とのこと。 なんとも景気のよい話である。「撤退」の噂は一体どこから来たのか、と、つい考えこんでしまう。
順風満帆に見えた船出 ここで、すでにご存知の方もおられるだろうが、「上海華?」の波乱に満ちた歴史を簡単に紹介しておこう。 1990年4月、資生堂ホネケーキ工業鰍フ子会社P&PF社と、上海電影製片庁の子会社上海影星化粧品庁が中日合弁会社上海皮愛膚有限公司を出資比率50:50で設立。1991年11月には工場竣工、同年12月から操業を開始した。主として日本側が生産、中国側が販売を担当。事業は順調に進むはずだった・・・。 操業以来6ケ月の間、工場は真夜中までフル稼働だった。高級透明石鹸の売れ行きは絶好調だった。いや絶好調の“はず”だった・・・。 1992年5月の連休のある日のことだった。従業員に払う給料がなくなってしまったとの合弁会社からの報告。調べてみると、100万元近い売掛金が回収不能になっていた。というのは、当初はマージンを先に渡す方式、発注すればするだけマージンがもらえるわけだから、注文だけはどんどん来るわけである。当時のことだから代金の回収はちっとも進まない。さらに何十万元の買掛金も同じく払っていない。在庫も何十万元。銀行で金を借りようとしたら数百万元をすでに借りてしまっている。 ・・・深刻な事態に陥ったのである。 そこに救世主が現れた。某大手ホテルからホテル用商品の注文が来たのだ。毎月、しかも日本円での支払いで。だからその金を活用できた。またちょうど人民元が切り上げになった。さらにその頃から日中友好の機運が高まりホテルの稼働率も高くなった。 ・・・危機は切り抜けられた。「あの時は借金漬け、八方ふさがりの状態でした。それが闇夜に光明、地獄に仏、首の皮一枚でつながったというわけですよ。このホテルのご恩は忘れられませんね」と、仁科専務は当時をなつかしげに語る。
合弁事業を見直して第2の展開へ そこで1994年、中国側の持分の大部分を日本側が買収し、日本側の経営主導にすることにした。 このとき、中方は当初買い取りを言ってきたという。大赤字で撤退すると思ったのだろう。その間に審計局の立入り監査が入った。初めは日本側のスタッフに対しては厳しい応対だった。ところが3週目の終わり、「中国側に問題がある」と勧告が出た。 しかしその後何年間にわたる日本側の経営主導にも課題が多くなった、@製造技術、品質管理面では全く問題ないが、中国内での営業力、マーケッテング力、業務企画力に優れた派遣人材に恵まれていないこと。A駐在員はほとんど中国語が話せなため、意思の疎通が図れず業務が円滑に推進できないこと。B派遣増員はコスト負担が大きく、吸収できるほどの企業規模でもないこと。C生産量が増大しフル稼働に近いが、現有の土地、建物、インフラ、生産設備能力も限界があり、工場移転、拡大のための資金的余裕がないこと。等の問題を抱え、いろんなところで具合が悪いところ、食い違いが出ていた。 中国進出以来、最も頭を悩ませてきたのが派遣駐在員の問題である。製品、技術、労務、財務の全てを見るという人はなかなかいない。しかもみんな当初は1年くらいで勘弁して欲しいと言う。合弁も10年にもなると現地スタッフも育ってきているから日本側から変な人間を出すわけにもいかない。さらに中国語を話せる人がいつもいない。通訳を通してでは意志の疎通がはかれない。 これらの問題を抱えながらも、上海華?は中国経済の急激な活性化や、製品の品質への信頼性の向上、営業努力などによって、業績を徐々に伸ばしてきた。1997年には3階を増築して生産ラインを増設、生産販売品目も拡大して海外からの引き合いも増大してきたのだ。
新しい道へ さて、合弁契約の15年という期間満了が迫ってきた。契約更改でどのような形で収束させようかというのが頭の痛いところであった。これまでと同じ事業の継続とするか、清算・解散して撤退するか、それとも思い切って相手側の持分を買収、独資で事業継続するか・・・、3つの選択肢が考えられた。中でも一番辛いと思ったのが撤退すること。やはり愛着がある。若干の未練もある。操業15年、正規社員が45人、パートが200人の会社に育っている。なんとか継続するにはどうしたらいいかと悩んだ。合弁事業を継続しさらに発展させていくためには、@マーケッテイングや、販売ルートの開拓、拡大、Aインフラ、生産能力の増強、B工場規模の拡大、移転、などのほか、何よりも派遣すべき人材の不足が大きな課題としてのしかかってくる。 そこに2002年10月、台湾企業Gから、大陸に拠点を持ちたいという第4の選択肢の申し出。20倍の規模の会社で30年前からのおつきあい、気心が知れている。技術も人的な交流もある、商売上のつながりもある。 かくして2004年12月,台湾Gが経営主導する形で合弁を合意、新生上海華?がリ・スタートをきった。15年前に小さな種をまき、苦労して育ててきた「上海華?」が、いま少し形を違えて花を咲かせ始めたのだ。 最後に仁科氏に、中国進出に際してのキーポイントを伺った。@中国事情の法律に詳しく、中国語のわかるコンサルタントを選択すること。A現地事情に詳しい、優秀な通訳を探すこと、BF/Sの作成に際しては、現地の投資コンサルタント会社を活用する。多くの関係官庁にコネがあり、F/Sを成功させる為のテクニック、ノウハウを充分に知っている。 これが、資生堂ホネケーキ工業が苦節16年半、苦労の末にようやくつかんだ「中国おじゃましますノウハウ」である。
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