はらだおさむの体感的日中経済貿易小史
       
<あのとき・あのころ>
第二部
   
(4)犬も歩けば・・・
 細井さんのアドバイスで、当時<日中>の役員で、関経連のメンバーでもあった中央電気工業(株)の今村 騰会長に<経済>の会長就任を要請、引き受けていただいた(現在も名誉会長をお願いしている)。
 原田くん、日中もまず日日が第一やでとの仰せで、月例会をランチョン方式ですることになった。
 最近では夜の会合も多いが、はじめのころは11時半ごろから食事をして、そのあとテーブルスピーチと続いた。
 いまでは210回を数える、息の長い勉強会のスタートである。
 いまでもそうだが、こうした会合で一番苦労するのがテーマの選択とスピーカーの依頼、ロータリーやライオンズならともかく、予算もスタッフもないとあっては、頼りになるのはわたしの"人脈"だけである。

 学友のひとりが大阪通産局の課長をしていた。
 <経済協会>の仕事を引き受けるとき、彼のアドバイスを求めたことがある。
 原田くん、これからは犬も歩けば、「日中」の時代やで、といわれた。
 20年以上も昔の話である。
 かれは<メシが食えますか>と心配もしてくれた。
 <キミが応援してくれたら・・・>とジャブを返したら、その後、中小企業事業団の海外投資アドバイザー制度を紹介してくれた。
 以後数年間、名古屋以西の中国案件を一人でアドバイスすることになるが、立ち上げの月例会の講師も本人はもとよりいろいろと知人を紹介してもらった。

 対中投資ははじまったばかりで、中国の「対外開放」の情報量は少なく、そのせいか昼間の会合でも会員の出席率は結構高かった。
 そのうち、現地のナマの情報がほしい、現地視察に行こう、現地で商談会が出来ないか、という話まで出て来るようになった。
 <犬も歩いて>エサを探そうとしはじめたのである。
 単発の視察や商談には上海の友好協会の日本処のスタッフが応対・通訳もしてくれたが、商売も経済用語もまったくわからない。
 <山福>時代のスタッフの有難味をかみしめたが、なにごとも一日にして成らずである。
 <経済>は継続性の案件が多いので、上海の担当者は固定的な専属は無理にしても、出来るだけ同じ人が対応してもらえるように依頼した。
 上海側からもスタッフが限られているので、個別商談など件数の多いときは出来るだけ訪問者の少ないオフシーズンにしてほしい、との要望も出た。
 
 84年の冬であったか、数件の商談で10名ほどが同時に訪中したことがある。
 個別商談なので通訳の数もそれだけ要る。
 神戸から帰国した日本生まれの女性が"オモチャくらいなら、わたしにでも・・・"と通訳をかって出てくれたが、値段交渉でFOBやC&Fなどがでてくるとギブアップ、たまたま同席のわたしに、原田さん、経済って、むつかしいわね、とのたもうた。
 かくして<経済>は歩き回りながら、年を重ねる。     (2004年5月23日 記)