はらだおさむの体感的日中経済貿易小史
       
あのとき・あのころ
第一部
   
(8)初訪中(5)
 中国機械進出口総公司は北京市の西北―二里溝にあった。
輸入商談が終われば会社の"初一念"―自動車部品の対中輸出のきっかけをつくるためにここを訪問することにしていた。
 その窓口―工農処には自動車担当者は二人しか居らず初対面のとき、部品を売りたければその前に日本製のクルマを輸出すること、プラグ、ワイパー、バッテリ―、ランプ、フアンベルト、ホーンなどの共通部品はわが国で生産されていて輸入する予定はないと、突っ撥ねられた。
 ココム、チンコムなどの中国包囲網を自動車輸出で風穴を開けてみろ!という趣旨と受け止めた。

 先ほどの輸入商談のときは切腹覚悟で一人芝居も打てたが、自動車輸出ともなれば日本でメーカーと交渉してもらわなければならない。
 <ニホンセイトラック カイイヨクアリ ミツモリコウ>と打電した後は返事待ち。
 することもなく零下10数度の北京の街をほっつき歩いた。
 まだ城壁は残っていた。
 
 そんなとき、北京の診療所に勤務するTさんと知り合った。
 徴兵検査で本籍地の熊本に一度行っただけの生まれも育ちも北京の、いまは中国人の奥さんとの間に二男三女をもうけて四合院の一角に居を構えていた。
 日本と中国の国交が正常化した暁には中国に帰化すると言っていたが、こちらがヒマを持て余して診療所に電話するといつもホテルに来てくれて、道案内や食事のお供をしてくれたのであった。
 
 公司との商談は一週間に一度程度、
 <グタイテキ ヒキアイヲダセ>、<スウリョウハ カカクシダイ>。
 なにか子供だましのようなやりとりのなかで、いすずと日産ジーゼルが通産省に見積もりを出していいかと打診するが、OKは出ない。
 商談の後、近くの北京動物園まで歩いて行っていつものようにドロまみれのパンダに「きょうもダメだった」と報告。王府井大街の古本屋で時間をつぶすのであった。
 
 北京滞在もすでに2ヶ月、そろそろ懐もとぼしくなりはじめ、見込みのつかない輸出商談を切り上げ、上海経由で帰国することにした。
 友達に教えてもらったのを丸暗記して答礼宴の予約を電話でしたが、頼んだとおりに準備されていたのにはわれながら感心した。
 
 北海公園の氷も溶け、柳のふくらみが春の訪れを告げていた。