はらだおさむの体感的日中経済貿易小史
<あのとき・あのころ>第一部 |
(45)黄浦江を下る
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82年の秋、わたしははじめて「黄浦江」下りの船上にあった。
64年からこれまでおそらく30回以上は上海に来ているだろうが、いつも仕事に追いまくられていて、蘇州観光はおろかこの船にも乗ったことはない。
この7月、社長の病気がきっかけで会社の信用不安が高まり、わたしの統率力と判断力不足も重なって会社が立ち行かなくなっていた。
わたしは顧問の弁護士や公認会計士と相談して黒字の貿易部門を生かして、赤字の国内営業部門を切り捨てる、和議による再建を目指したが、国内債権者の同意が得られず、和議による会社整理、倒産が決定した。
大勢の債権者にご迷惑をかけ、とりわけ路頭に迷わした従業員に詫びようがなかったが、わたしが創設した中国貿易を乏しい退職金を元手に継続しようとしている貿易部門の一部社員の動きをなんとかサポートすることは出来ないかと思案した。
管財人は国内債権者の動きもあり、わたしの中国行きになかなか同意してくれなかったが、中国の貿易公司の一部も債権者でありご迷惑をおかけしている、そのお詫びに北京へ行きたいとお願いしてやっと許可が出たのであった。
北京でお願いやらお詫びで数日を過ごし、一昨日、64年にはじめて上海を訪問したときのホテル、最近まで上海事務所のあった和平飯店にたどりついた。
心身ともに疲れ果てていたが、昨日は上海の輸入貿易公司3社と中国国際貿易委員会上海分会(現上海国際商会)にあいさつをすませると、明日のフライトまで何もすることはない。
この10余年、歩き続けたこのバンドもいつの日に来ることが出来ることだろうかと、浦東公園の近くまで来ると「黄浦江」下りの銅鑼の音が聞こえてきた。あわてて切符を買い求め、いま船上から両岸のたたずまいを眺め続けているのであった。
長江と交わる河口付近でカモメが飛びかっていた。
上海よ、さようなら、中国よ、さようなら。
わたしの日中貿易は、不甲斐ない結末で終わろうとしていた。(第一部 完)
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