はらだおさむの体感的日中経済貿易小史
       
あのとき・あのころ
第一部
   
(4)初訪中(1)
 友好商社になってからの一年は多忙をきわめた。
 契約第1号の銑鉄がキャンセルというかたちで日中貿易をはじめたわたしは、中断の5年の間に自動車業界における当社のポジションや業界内の対中貿易への関心がある程度読めるようになっていた。
 まず業界内で実需のある輸入商品を探す、これが再開後のわたしの最初の仕事であった。
 
 当時日本でもようやくマイカー時代が訪れようとしていた。
 国道筋にはカーデーラーが大きなショウウィンドウのある店舗を建て始めていた。
 クルマは高価な商品で、いつもピカピカに磨きたてられていた。ワックスがけにはセーム皮が使われ、毛羽たきでホコリが払われていた。
 この原料の鹿皮や鶏の羽毛は、中断中も香港経由で細々と入っていたが需要に追いつかず高値を呼んでいた。
 わたしはそれぞれのメーカーを尋ねて奈良や和歌山、大阪の郊外を走り回った。
 
 業者から打診を受け、中国の畜産公司にインバイトオッファーの電報を打ち(KDDの大阪支社で暗号電報やマ電の使い方を教えてもらった)、羽毛や鹿原皮のオッファーをとってそれぞれの業者と契約することが出来た。
 鹿原皮を積んだ船が海難事故で沈没したこともあったが、かけていた保険代金で売買よりも儲けたこともある。
 こうした輸入契約をくりかえしているうちに、台湾製の安い毛羽たきが製品として輸入されはじめてきた。
 毛羽たきの製造業者は零細企業である。 なんとか輸入阻止できぬかと相談を受けたが、台湾製の品質は劣る。逆に中国のすばらしい羽毛を使った毛羽たきを製品輸入してはどうかと提案、当社がカーデーラーに直売しない、従来羽毛を買ってもらった専門業者のみに販売することで合意。中国に毛羽たき輸入の総代理店契約を提案した。

 63年の秋、北京では日本工業展覧会が開催され、元首相の石橋湛山展覧会総裁が毛沢東主席と会見していた。