はらだおさむの体感的日中経済貿易小史
       
あのとき・あのころ
第一部
   
(35)サンファン(1)
 後にも先にも商品のCFづくりに参加したのは、このサンファンだけである。
 品質は改善され、新しいデザインのダブルとシングルのクッションが大量に入ってくる。
 T社とは販売協定も出来て一次卸については東西を二分して静岡より西は当社とし、当社の商品はすべてサンファンのマークの入った袋入りで販売することになった。
 何種類かのカタログやチラシも用意、来シーズンにむけての営業企画会議の席上、テレビのコマーシャルもうって欲しいとの要望が出てきた。
 輸入原価の三倍を最終小売価格に設定し、中間業者に大幅なマージンを提供する販促を打ち出していたのでその余裕はなかったが、公司に相談すると数量あたりで販促費を出すと協力的であったので、広告代理店にあたってみた。
 
 4月から6月の3ヶ月間、毎日曜日、夕方の朝日新聞ニュースに前後15秒のコマーシャルを2回入れる、その費用はかくかくしかじか、中京テレビでは同じ価格だとその3倍はうてると話はわかったが、先ずはそのフィルムを制作しなければならない。
 モデルをどうするか、すべてはじめてのこと、オカネを計算しながらハーフのモデルがサンファンクッションに腰をかけ、扇風機で風を送ってドレスのすそがなびくシーンという設定がきまり、つぎはBGM、“サンファン”のフレーズをメロディにのせて、ということになった。
 
 あとで現場までつきあった担当者の話によると、なかなか思うような絵が撮れなくて、モデルが扇風機の風で震えだすという場面もあったとか。週1回のコマーシャルは大阪ではまったく話題にもならなかったが、名古屋では営業が顧客にもPRしたこともあったのか、BGMがずいぶんと話題になったらしい。
 
 そのあと大分テレビの人たちと話をする機会があった。
 費用対効果からみればまず地方でうち、その反響を見ながら大阪とか首都圏にうってでるのが常道とか、ウチだと九州一円と山口県の瀬戸内海側まで入りますよ、それだけの予算があれば、1日3回、3ヶ月はOKといわれたがすべては後の祭り、であった。
 
 のちに読売テレビの中国取材のお手伝いをすることがあって、15分番組、演目にはならなかったが「サンファンのふるさとを訪ねて」を企画から現地手配、通訳までこちらが受け持って実施された。
 同テレビの中国取材第一号であった。