はらだおさむの体感的日中経済貿易小史
       
あのとき・あのころ
第一部
   
(33) モノポリー商品(2)
 はじめて青島を訪問したのは、77年の春節明けの2月中旬であった。

 山本社長を含めて担当社員6名が北京から夜行列車で10数時間、翌朝6時ごろ青島に到着、駅前旅館で出された魔法瓶のお湯で顔を洗って一眠り。
 朝食のおかゆに付いて出されたのは、北京では見かけない目玉焼きであった。
 
 青島は第一次大戦終了までドイツの租借地であった。
 朝焼けに輝く丘陵には赤褐色の戸建の屋根瓦が連なり、写真で見るヨーロッパの別荘地帯のようで、ここがとても中国の地であるとは見えなかった。
 
 9時過ぎ、工芸品公司青島分公司へ赴く。
 この数年、商談を重ねてきたメイズクッション(コーンクッション)の代理契約の決着を求めての会談である。
 74年ごろから会社の国内営業の主力であるカー用品のラインアップに中国商品を加えるため、国内営業の幹部を広州交易会に参加させていたが、かれらの目にとまったのがK社がインテリア商品として輸入していたメイズクッション、とうもろこしの内皮を原材料に手編みでつくられたこの商品であった。
 輸入担当者が交易会の窓口で交渉すると、これはK社のモノポリー商品、欲しければ同社経由で契約してくれとのご託宣、何はともあれまず商品を手にすることと同社経由で輸入してカー用品ルートに流してみると、型崩れのクレームが多い、インテリアとカールートでは使用条件がまったく異なっている、これは毛羽たきのときにも発生したことであるが、中国で家具などの清掃に使われていた毛羽たきも、日本の自動車用ではボデーの清掃から極端な場合、マフラーにまで突っ込んで掃除をしようとしていたのだから、クレームが発生したのはあたりまえ。
 このクッションの場合も同様、インテリアであれば腰掛けたままだが、自動車の場合絶えず動いている状況で使用されているので、その補強は必然であった。
 
 70年代の後半でも自家用車のカークーラー搭載率はまだ低く、夏場になると走行中でも室内温度は40度くらい、駐車後ともなると70度近くまでに上がっているものだから、レザーのシートにはこうしたクッションは欠かせないものとなっていて、このメーズクッションのような天然素材の商品の潜在需要は多かった。
 わたしたちは商談の都度、カー用品ルートへの商品開発を訴たえつづけてきたが、青島分公司のガードは固く2年余りK社経由の輸入が続いた。
 品質改良のための技術者の産地訪問と現場での技術交流は欠かせなかったが、この要望が実現するまでには2年以上の、時の経過が必要だったのである。
 
 このとき、青島の海岸には氷が張りつめ、桟橋賓館前の八角堂で開催されていた、江青の悪行を暴く写真展には大勢の市民が詰めかけていた。
 春はまだ遠かった。