はらだおさむの体感的日中経済貿易小史
<あのとき・あのころ>第一部 |
(27) モノポリー商品(1)
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64年の初訪中の商談が毛羽タキの輸入商談であったことはすでに述べたが、これは香港経由の輸入をも認めない日本総代理店契約―独占的なモノポリー契約であった。
この商品は毎年ほぼ倍増の数量契約を相手側から求められるー独占に伴うキツイ契約であったが、その分利益は確保され、バックマージンも大きかった。
それだけに排除された他の業者の嫉みは大きく、公司にあること、ないことの悪口雑言、告げ口がされたものだった。
鹿の原皮輸入ははじめのうちは普通の輸入取引であったが、日本での車の販売が増えるにつれ、毛羽タキとセーム皮、ワックスなどのいわゆる愛車セットの需要がカーデーラーで高まるにつれ、セーム皮の原料―鹿原皮の輸入が増加して行った。
ところが資源保護の関係もあって中国の供給量が日本の需要に追いつかず、一部では輸入原皮にプレミアが付くほどになったころ、公司は日本の実需と窓口商社の実体を調査するためか、大幅な値上げのオッファーを出してきた。
これは呑むことができない。
当社の大口ユーザーが中心になって不買作戦に転じ、他の小口ユーザーもこれに追随した。
この不買は2年間続いたが、小口ユーザーが在庫切れから脱落し始め、最後まで不買を続けた当社と大口ユーザーがそのあとしばらく公司から乾されることになってしまった。
いわゆる軍足(綿100%の靴下)の輸入も独占がらみであった。
量販店卸の業者からの引き合いではじめたこの商談は、当初量販店の担当者の要請で「メイドインチャイナ」のラベルをわざわざ人手を使って店頭で切り離していたようであったが、若者のジーンズ姿が増えるにつれ、このザックリした、3足500円の靴下が飛ぶように売れ出し、他の日本製との違いを強調するためにも、「メイドインチャイナ」の原産地ラベルが有効になってきた。
このころ上海の窓口公司にモノポリー契約を提案したが、他の同類商品が多いので同意が得られず、当社が輸入したい二つの品番のみの独占契約となった。
このあと2〜3年は価格が合意できるとたちどころに2億円くらいの輸入契約が可能な売れ筋商品となったため、その権益を守りコピー商品の輸入を阻止するために、日本で商標と品番の登録をしたこともある。
しかし儲け話には苦労も多い、「楽は苦の種、苦は楽のタネ」である。
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