はらだおさむの体感的日中経済貿易小史
<あのとき・あのころ>第一部 |
| (2)長崎国旗事件(二) |
事件後、中国側は日本の商社に新規商談の中止(5/7)、折から商談中の鉄鋼取引の停止と武漢・広州日本商品展覧会における展示品4億円強の買い上げ中止(5/10)の通告があった。
かくして民間の積み上げ方式により拡大しはじめていた日中貿易は中断のやむなきに至った。
この事件は二人の右翼の暴徒により引き起こされたものであるが、前年よりの第4次日中民間貿易協定の締結をめぐる岸内閣の対中姿勢がその背景にある。
就任後の初外遊(57・5)で訪れたアジア諸国で、共産主義とくに中国の脅威をあおりたて、帰路台湾に立ち寄って蒋介石の「大陸反攻」を支持したのであった。
石橋前首相の政策と意思を継承すると“公約”して4ヶ月も経たないうちに「中国敵視」の姿勢をとりはじめたのである。
協定は政府・自民党の同意なしに調印(58・3・5)されたが、同日岸首相は国会で「…国旗条項がそのままなら、調印されても政府としては承認する事は出来ない」と発言、骨抜きされた政府同意の協定に対して中国側は受け取りを拒否(58・4・13)した。
わたしは石橋首相の対中政策に将来の夢を託して日中貿易の仕事を選んだのであるが、入社一年の対中関係は悪化するばかりで、ついに日中貿易の中断という最悪の事態を迎えることになった。
岸信介に対する個人的恨みはこのときからはじまっているが、それは中国侵略の中心的人物であり、A級戦犯でもあった人物を首相に選ぶ、日本の事なかれ主義の"政治風土"に対する憤りにも通じる。
5月末に日本商品展覧会の後始末をして帰国された森井庄内氏(展覧団関西副団長 ―日本タルク(株)社長)は、つぎのように語られていた。
「展覧会場にへんぽんと翻る日章旗を見て、中国の人の心情はいかがなものであったろうか、あの旗のもとどれほど多くの人々が傷つけられ、殺されたことか、日本人のわたしでもそう思って会期中この旗を見つめていたのであるが、中国側は万が一の事を考えて解放軍の兵隊がこの旗を守りつづけてくれていた。
それに対して長崎の中国国旗凌辱事件でとった日本政府の態度はなんということか、中国政府にお詫びするどころか翌日には犯人を釈放している。
あまつさえ日中貿易中断の責任を相手に転化している」
それから一年後、わたしの山福貿易(株)は仕事もないまま親会社に吸収されたのであった。
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