はらだおさむの体感的日中経済貿易小史
<あのとき・あのころ>第一部 |
| (10)「わたしの見た中国のクルマ」−2 |
日本車と再会
自分の家庭を離れてみて初めて自分の家庭を客観的に見ることが出来るように、国を離れてみて初めて、その国のあれこれを判断できるのは人間の習性でもあるようだ。
そのことは、逆の面からみれば平素見慣れていて好悪の感情さえわかないものが、外国の土地では非常に懐かしく思う気持ちになってくる。
それゆえ、新僑飯店で読む日本の新聞の一文一語がそのまま食堂のグループの話題になり、日本語がしゃべれるというだけで、北京在住の日本関係の人たちと急速に友情が芽生えてくる。
そうした意味で、わたしが北京の街角ではじめてトヨペット・クラウン・デラックスをみた時のえもいえぬ感情は、いまここで筆をとりあげて論ずべきことではないのかもしれない。
わたしがその夜、この特筆すべき?発見を、食堂のグループに声高らかに報告した時、仲間の一人が、それは昨年の日工展出品物の売却品で、いまは北京技術進出口公司の専用車になっているという淡々たる説明を聞いて、わたしが大上段にこぶしを振り上げてしゃべりまくろうとしたその勢いが、いつのまにかしぼんでしまっているのに気づいたが―そしてまたここでそのウップンを晴らすわけではないが―そこには、まだ北京の風物として溶けきっていない、新鮮なニュースバリューを感じていたのであった。
わずか一台の日本の車が北京の街角を走っている。
そのこと自体は現象面からみれば大したことではない。
しかしながら、日本の業界の複雑な動きを曲がりなりにも知っているわたしには、この一台が北京で走るまでの関係者の努力と熱意に敬意を表さざるを得なかった。
エンジンの音が少し高すぎるのではないか、モーターはちょっと弱いようだ、ルームが少し低いように思えるので、シートを改良してみたらどうか、という意見も聞いたが、この一台が日本の自動車工業を代表し、そこに中国の人たちの関心が集中しているかに感じられた。
それから日ならずして、わたしも機械公司からトラックの引き合いを手にしたが、一月を経ても結論が出ずに商談は未成立に終わった。
中国貿易において、特に自動車関係についてみれば、目下の段階では一商社の利害にとらわれず、どんなクルマでも、どこのメーカであっても、中国市場に乗り出すことができるよう努力することが必要だと考える。
上海から広州へ着いたのは交易開会幕直前の4月14日の夕刻だった。
明るい南国の太陽はまだ西の天高く、暑い日差しのホテルの前に10数台のクラウン・デラックスが駐車していた。
今年の広州交易界には、年頭からの改善ムードで300人を越える日本人が参加していたが、翌日からの交易会の会場への往復にはこのクラウンをよく利用していた。
まだクルマの少ない広州において、この10数台の新車の存在は他の外国からの参加者にも新鮮さと、ある意味での刺激を与えていたものといえる。
話によると、これらのクラウン・デラックスはこの交易会の送迎用に緊急輸入されたもので、雪の北京を走っていた一台のクラウンがこの10数台の輸入を呼び、これらのクルマはまたつぎの機会に何倍かの数量となって中国の各地で稼動することであろうと思うとき、当初の取引がたとえ1台〜2台であっても、そのサンプルカーの果たす役割は大きいといえよう。(中略)
中国で見たクラウン・デラックスからこれからの対中貿易を論じるのは時期尚早であろう。
しかし、日本のメーカーのなかでトヨタが一歩前進している、とうのが一旅行者の率直な印象であった。
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