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“害群之馬”(社会に害毒を流す者)という言葉は、社会的政治的背景から、理解しなければならない。魯迅は、「両地書」の中で、パートナー許広平に書き送っている。「‘害群之馬’と見られているあなたは、今の騒ぎが少し収まるのを待ってから、意見を発表したらいかがでしょう。 「社会を害(そこな)う悪人」と見られながらその社会や組織と闘う。いったい誰が「害群之馬」で「凶悪犯」なのか、見方は分かれてしまうだろう。
この8月、中国の社会派作家・張平、日本初上陸作品!と銘打った本が出版された。荒岡啓子訳の『凶犯』(新風舎文庫――中国語では凶悪犯または殺人犯の意。ここではそのまま使う。)である。ここには、まさしく「社会を害う凶悪人」が、自分の命、最後の血一滴を賭けて、自らを“凶犯”へと追い込み、社会の病巣の手がかりをこの世に残そうとのた打ち回る闘いが描かれる。 国有林保護監視員として村へやって来た主人公狗子(ゴウズ)が、事実上国有林の利権を牛耳る「四兄弟」から深手を負わされる。歩く事も出来なくなった狗子は思う:このまま死ねば‘害群之馬’で終わる。そうはなるものか。彼は、這いながら山頂にある家へ戻り、旧式ライフル銃を持ち出し、「四兄弟」の店へ這い戻って四人を撃ち倒す。‘害群之馬’は“凶犯”となったが、狗子にとっての
‘害群之馬’、利権屋四兄弟も撃ち倒されたのだ。でも、いったい誰が‘害群之馬’を裁くのか?ここから『凶犯』のドラマがはじまる。
訳書には、原書には無いものが加わって本書をぐっと読みやすくしている。 「中国の行政機構と党との関係、その中で、公務員としての狗子の位置」がひと目でわかるように表にまとめられている。さらにもう一つ、物語の構成と流れがすぐわかる「目次」が工夫されている。「事件後時間に沿って目撃者が語るドラマ」と「深手を負った狗子が、大量の血を残しながら、凶悪犯へと這い進む軌跡」を少しずつ切り取り、小見出しを付けて、交互に示し、(原書には、日時だけの小見出しはあるが、目次はない。)どうぞおすきなところからお読みくださいとなって いる。 このフィクションを通して張平が伝えたかった真実を、深く受け取った訳者は、もうひとりの書き手となって、魅力ある作品にしようとした意気込みが、伝わってくる。
狗子が、「四兄弟」を殺すまで生き延びようとした執念を、本文からいくつか拾い上げて‘害群之馬’の孤独に触れてみたい。 「これほど負傷し、出血しているのだ。もう生きてはおられまい。生きられたとしても、せいぜい数日だ。彼は、自分の体の各所に現れている危険な兆候をますますはっきり意識していた。」狗子は、中越戦争で片足をなくしていて義足である。彼はこれを知らされる時の母の衝撃を心配して、悩んだが……兄から届いた手紙は意外な内容であった。「母さんはお前に、ゆっくり養生するようにと言っており、お前が負傷したことを何とも思っていないし、むしろ光栄なことだと思っている」「母の微笑みと落ち着きの裏に潜むのは、感受性の麻痺や冷淡さというものではないのか。もしも、これを強靭と言うのなら、こういう強靭さこそ人をひどく悲しませ、落胆させるものだ。」 いまもし彼が異郷で横死したなら、「自分の息子に犯罪者、しかも殺人犯との判決が言い渡されたら、母はどうするだろう。当時、息子を誇らしく思い、鼻高々でいた母が、今度は、恥ずかしくて顔も上げられず、身の置き場もないと感じるのだろうか。自分の息子を蔑(さげす)み嫌悪するだろうか。……おそらく……そうするだろう。」女房と息子は?「やつらは手を変え品を変え、かなりの金品で、女房の篭絡(ろうらく)を図るだろう。」息子は?「もしかしたら、もっといいお父さんができるかもしれない……」 自分の正義を信じる者は誰一人いないという孤独が、「四兄弟」を殺すまでは死ねないという執念を支え、狗子は“凶犯”になる。証言者(村人)たちが、四兄弟に言われた通りの証言をしていく途中で、重傷の二兄弟の死が伝えられる。四兄弟全員の死がはっきりした時から、証言者(村人)にのしかかっていた枷がゆるみ、「真相」が語られ始める。しかし、四兄弟の覇権を黙認してきた幹部たちは、自分たちに都合のいい報告書を作るのである。狗子(ゴウズ)が命をかけて残した手がかりは果たして……
さて、狗子(ゴウズ)という主人公の名前は、罵詈語にも直截につながり――
“狗雑種!”(イヌ野郎)――などと使われている。“狗雑種”以上に強い印象を与えるのが、狗子の義足に託(かこつ)けた罵詈語である。四兄弟の口から繰り返される:「歩いて入っても、這って出て行くことになるぞ。覚えていろ!必ずお前の腕と足をへし折ってやるからな!」これを受けて、村人や女房がたびたび狗子にあびせた罵詈語が、直訳すれば、腕が欠け、足が欠けたろくでなし)『凶犯』では「この役立たずが!」「この出来損ないが!」などの表現になっている。この種の罵語が、事実足をなくした狗子(ゴウズ)に向って、続いて四兄弟によって、腕や残ったもう一方の足をやられた男に向って使われる。この一連の罵詈語の迫力は、既成の日本語では表わせきれないものである。
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