| 周 紅子の中国レポート(25) |
中国都市部の働き盛りに広がる健康不安
―広州、上海、北京の事例から |
自家用車で帰るため運転席のドアを開けようとしたところだった。突然目の前に黒い幕がサッと下りた感じがしてその場に崩れこんだ。「ママ!」。一緒にいた娘の叫び声が急に遠のいた。
広東省広州市在住の労(王京)娟さん(51)は今年1月、市内中心部にある実家前の路上で脳内出血を起こして倒れた。
労さんは広東省建設銀行副頭取を経て現在、信達資産管理会社広東支社の総経理(社長)を務めている。
中国経済の持続的発展の可否は金融問題への取り組み如何ともいわれるなか、不良債権処理の元締め金融機関のトップという重責にある労さんの仕事は、連日早朝から深夜に及んでいた。
面倒見のよさから部下、友人に慕われ、仕事を離れたところでも相談を受けたり頼られたりが多く、時間はいくらあっても足りなかった。
加えて、「どんなに忙しくても、家のことはすべて私がやりこなす」のが労さんのモットー。
家庭では広東省開発銀行の副頭取を務める夫の妻として、また大学生になる一人娘の母親として、家事全般を担ってきた。
時間が少しでも空けば、キャリアアップの期間中自分に代わって娘の世話を引き受けてくれた実家の両親の元へ顔を出した。
脳内出血で倒れたのは、旧正月(春節)前の決算期中ようやく取れた半日の休暇を、80歳を超えた両親宅の拭き掃除に費やした直後のことだった。
救急車で運ばれた先の病院で手術が成功し、いまはリハビリに励む毎日だ。
「入院して初めて無理に無理を重ねた年月を降り返る時間を持てた」と労さんは言う。
「突っ走るだけではだめ。他人に任せられることは任せて、体を充分休めなければね」。見舞い客に語りかける言葉は、わが身への戒めでもある。
改革・開放後20年間続いてきた中国の高度経済成長を、中軸となって支える都市部の働き盛りにいま、健康への不安が広がっている。
2004年の中国都市部の死亡原因統計によると、「悪性腫瘍(ガン)」、「脳血管系疾患」、「心臓病」が上位3位を占め、「呼吸器系疾患」、「損傷および中毒」、「消化器系疾患」が続く。脳血管症や消化器系疾患の伸びが顕著だ。
中国では今年4月、ある著名人の「突然死」が大きな話題となった。
上海在住の陳逸飛氏。
画家であり、映画監督であり、また服飾、不動産をはじめとする複数のビジネスを手がけるやり手として知られていた。
「消化器官からの大量出血が致命傷となった」との報道から始まり、「仕事上のトラブルをかかえて精神的なダメージを強く受けていた」、「亡くなる直前に引いた風邪で感冒薬と消炎剤を服用したことが、大出血の引き金となった」など、死亡までの経過と原因をめぐってさまざまな憶測が飛び交った。
中山大学付属第二医院肝胆医院副院長の王連源教授は、陳氏の事例を「長期にわたる疲労との関係が大である」と分析した。
「仕事のテンポが速まり社会の競争が激化した今日の中国では、消化器潰瘍をわずらう患者が激増している」とし、「緊張感を絶えず持ちながら仕事の負担を重ねることが病気を招く最大の原因。
休養を欠かさず、楽観的な心持を常に保つことが大切だ」『現在保健報』(4月20日付け)と強調する。
中国政府は経済過熱現象を抑える目的もあり、ゴールデンウィークなどの国民休暇の新たな設置と、企業に対する休業日拡大指示などの措置を採り始めた。とはいえ、ワーカーホリックの道を一度走り始めたら最後、ペースダウンとはなかなかいかないのが、中国都市部の働き盛りの現状だ。
日系化粧品会社の北京事務所に勤める王景芳さん(女性 30代 仮名)は、5月のゴールデンウィークを利用し、小学校1年生になる一人娘を連れて急遽来日した。
東京に単身赴任中の夫が職場での人間関係から来るストレスとホームシックとで、精神的に不安定になっていたからだった。
王さん自身3年前、仕事のストレスから来る過労で入院した経験を持つ。
「身を粉にして働く世代にとって陳逸飛氏の事件は、出世より何よりわが身と家族みんなの健康が第一だと気づかせてくれた」と王さん。
夫の話にじっくり耳を傾け、親しい友人に後を頼んで北京へ戻ってきた。
陳逸飛氏が莫大な資産と尽力を傾けてようやく完成させたばかりの新居に、一日たりとも住むことができず逝ってしまった点が「本当に身につまされた」と言う。
「マイホームを手に入れるため仕事のピッチを上げると、まるで追いつかれてなるものかというように住宅費用も値をつり上げる」。
北京の出版社に勤務する男性(40歳)もため息をつく。
「欲しい物件は、1平方メートル当たり2万人民元(1元は約13円)の高値。200平方メートルは確保したいとなると、どれだけ働けば手が届くのか」。
『家庭医生』(家庭医生雑誌社 隔週発行)は中国で現在発行されている雑誌のうち、読者数で全国第6位を誇る大衆向け家庭医学誌だ。
「健康への関心は急速に高まっている。読者数の伸びは顕著で、海外購読者を合わせると、のべ読者数は370万人に達した。今年末には読者数の5%増が見込まれている」と鄭文芸総経理(41)は胸を張る。
一人っ子のための小児医学と並んで近年関心の高いテーマは成人病予防だ。
「読者の話しを聞くと、病気予防のためには休息が必要だとは理解していても、日々の慌しい生活がそれを許さない。
より多く稼ぎ、より良い生活を得るため体を酷使して働いている」と述べている。
忙しいビジネスマンの健康への懸念が、商談スタイルをも変えつつある。
「マッサージを受けた後、会社に再び戻って仕事を続ける。ちょっとでも楽になった気分を味わえる」―。
残業の途中で同僚と誘い合って足のマッサージを受けるビジネスマンへのインタビューを掲載したのは、広東省の日刊新聞『南方日報』(2004年12月23日付け)だ。
「世界の工場」の最前線として外資系企業が集積する同省東莞市での、「洗脚屋」(フットマッサージサロン)の繁盛ぶりについて報じた。
仕事で北京と東京を往復している張学兄さん(仮名 42 男性)は「東莞だけではない。北京でも上海でもマッサージサロンは働き盛りのたまり場になっている」という。
以前は商談といえば、「油こってりの中国料理の円卓を囲んで」が相場だった。
「いまは茶館でお茶を飲み、マッサージサロンで並んで足のマッサージを受けながら話しを進めるのが、北京の仕事仲間のあいだでブームだ」。
張さんは重症急性呼吸器症候群(SARS=サーズ)が猛威を振るった2003年春が、「実は中国の働き盛りにとって自分の健康管理を見直す近年最大のチャンスだった」と主張する。
SARSの蔓延を食い止めるため政府がとった自宅待機の措置を受けて、社会に出てこのかた家でじっくり休む機会のなかった人たちが、外出を止められ自宅にこもることになった。
これまでのわが身の働き蜂ぶりを振り返り、「このままではいつかは倒れてしまう。仕事に追われるばかりが人生ではない。
休日を十分とって体を休め、家族との絆を取り戻そう―。
SARSの時期、周囲の誰もがそう考えた」と張さん。
ところがSARSが鎮静化し、「さあ出勤できるとなったら、自宅待機中の神妙ぶりはどこかに吹き飛んで、みんなあっという間に猛烈ビジネスマンに後戻り。
出勤できなかった分の遅れを取り戻そうと、以前に増して仕事に励む人が続出した」。
張さんの周りでは、仕事を終えたときの挨拶から「再見(さようなら)」が消え、いまや「保重(お大事に)」が一般化した。
「無理は承知の働き盛り同士、別れ際にかけるお大事に、の一言が、せめてもの慰めかな」と苦笑している。 |
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