阿拉上海人(4) アラサンヘーニン<私たちは上海人> 
上海飛翔日本人補習中心校長 松村浩二     
再び<上海を生きる> 

上海在住8年。この8年間で私は上海の発展と変化とを目の当たりにしてきた。数多くの経済誌や評論家が唱える中国経済の大成長、中国社会の大発展、人々の生活水準の向上、文化の多様化など、中国をめぐる言説には光の側面を解いたものが多い。その反面、中国脅威論や大中華論など、中国の覇権主義化、大国化に対する警戒感を吹聴する議論も多い。中国に対するまなざしは、このように戦前戦中戦後を通じて、相変わらず“ねじれた”ままである。それだけ日中両国における相互理解が不十分なままで停滞しているからであろう。小泉内閣から安部内閣に変わったという、ただそれだけのことで近代史において蓄積されてきた、このような日中間の“ねじれ”は容易に解きほぐすことはできない。
 ふと、上海在住の日本人がどれほど“中国”を理解しているのだろうかと考えることがある。私のような自営業者を除けば、そのほとんどが3年から5年後にいつかは母国へ帰っていく人々である。もちろん滞在の長短は理解の深度に比例しないかもしれない。1年間生活しただけで中国の内情を十分に知り尽くして帰る人もいるかもしれないし、30年間滞在しても、中国のことを実は何も知らないという人もいよう。
 “中国を知る”とはそもそもどういうことなのだろうか?巷で言われる“中国”とは何を指すのだろうか?中国人、中国文化、中国語、中国の伝統、中国の生活様式、中国人の心理・精神・心性、中国の政治システムetc。数えだしたらきりがない。経済誌は無論、“中国の経済”をテーマとして発行されるものだが、そもそも“中国の経済”とは、一体何者なのか?私たちは、中国と日本、日本と“nation(国家)の枠組みで思考することを当たり前のこととしている。しかしながら、“nation(国家)が「想像の共同体」(べネティクト・アンダーソン著『想像の共同体』)であることはすでに明らかだ。国家という実体がどこかにあるわけではなく、中国という国家があると思い込んだ結果、想像の世界で始めて“国家”が成立するのである。だから、中国という国家も日本という国家も実はどこにも存在しない。したがって、実は中国の経済なるものもどこにも存在しないのだ。
 グローバル化が席巻しつつある今日の世界では、世界はひとつの大きな網の目に中に組み込まれてしまっている。グローバル経済という言葉に象徴されるように、それを最も顕著に示すのが経済である。周知の通り中国経済は中国による単体で閉じた経済圏を意味しない。中国―日本、中国―アメリカ、中国―韓国という「関係性」の中でしか構成されないものである。今や「世界の工場」となった中国は、同時に「世界の市場」になりつつある。巨大な経済資本がグローバル経済の名の下に、中国の資源、労働、市場を世界経済の中に深く組み込ませてきたのがここ数年来の改革開放路線であったのだ。私たちの日常生活は今や中国製品であふれかえっている。中国製の韓国・日本・アメリカ製品で私たちの生活は成立しているのである。“MADE in China”とは、単にその製品が中国で製造されたということを意味するのではない。“made in China”は、グローバル企業が中国経済を構築し、中国を世界市場の中に取り込み、中国経済を世界経済へと招き入れてきた歴史をも明示するラベルなのである。かつて“ Made in JAPAN”、“ Made in KOREA”がそうであったように、憧憬と嫌悪の矛盾した感情で世界の人々、とりわけ先進諸国の人々に受け入れられていった痕跡なのである。
 今や中国は世界一の外貨保有国となり、対ドル固定レートも今や、条件付きながらの変動制へと移行しつつある。世界の工場から世界の市場、そして世界の経済へと中国はこの数年間邁進し続けてきた。08年の北京オリンピック、10年の上海万博という国際イベントは、中国の経済と政治とが真に世界レベルで認知される、歴史的なエポックとなるだろう。
 しかしながら、その陰で実に多くの矛盾や問題を中国が抱えていることも事実である。改革開放路線を上海で先導してきた陳良宇の突然の解任、中国共産党委員会でなされた胡錦濤の社会不安解消の提言などは、一直線に突き進んできた経済政策の見直しであり、路線変更を物語る。昨日の新聞では北京にある民工子弟の学校が閉鎖された結果、5万人の子供たちが学ぶ場を失ったという報道もあった。北京市は市営の民工学校を新たに建設すると約束したそうだが、現実的には民工子弟の“囲い込み=ゲットー化”につながる恐れもある。
 私は中国、上海の民工の友人はいないが、多くの出稼ぎ労働者を知っているし、彼らの生活状況もある程度は理解している。広東省出身の理髪師、河南省出身の按摩士、安徽省出身のお手伝い、上海近郊出身のゴミ収集人などなど。そして、私の住む古北地区には数多くの地方出身の民工の人々がいる。彼らの実生活に立ち入ったことはない。しかしながら、彼らの生活は今まで見てきた多くのテレビ報道やドラマで十分に理解することができる。
 東北の太原市を舞台にし、田舎出身の人々の悲喜交々を描いた『馬太師』。青島周辺の民工の重婚罪を題材にした『「人証』、南部の地方都市で働く出稼ぎ者たちの犯罪を再現した『渇望城市』、民工の実生活を忠実に描いた『生存―民工』など。中国社会が抱える多くの矛盾の本質を鋭くリアルに描き出したテレビの作品に数多く接することができたのは実に幸いであった。そこで描かれるのは、現代中国社会における民工の存在のありようである。苛烈な人権侵害(暴力、違法な労働環境、違法な労働契約など)、子供の人権侵害(教育権の剥奪、捨て子、人身売買など)、民工=出稼ぎに対する社会的蔑視観は壮絶なものがある。「ただ民工というだけ」で、奴隷のよう扱われ、犬猫のように捨てられ、人間としての尊厳など認められることもない。 
 世界のメディアで報道される、明るく発展した清潔感あふれる「新しい中国」は実は表の表情にすぎず、中国という多面体のごく一部でしかない、ということを認識しなければならない。多面体の一方には、前近代社会とさして変わらない“負の現実”が歴然として存在し、たまりにたまった“精神のねじれ”が渦巻いている。毎年全国で発生する農民や民工の暴動はこれらの具現化であり、私たち外国人が知るのは氷山の一角にすぎない。
 私たちが知っている“中国”とはいったいなんだろうか?私たちは中国の何を知っているのだろうか?翻って私たちは日本の何を、自分の何を知っているのだろうか?中国を見るとき、人は観光者としてのまなざしを共有している。しかしながら、観光者としてのまなざしは、あくまでも自分自身の思想や生活を温存しての、“客観的で距離を置いた視線”である。観光客は中国をまなざすことで、自分自身の存在が“ゆらぐ”ことはない。観て、食べて、聴いて、楽しみを消費すればいい。しかしながら、生活者として中国社会をまなざすとき、私たちは“客観的ながら身近な視線”をもつことになる。同じ時代に同じ空間で共に“生活をする人”として、私は彼らを見ることになる。楽しみを消費するだけではなく、彼らの喜怒哀楽をどこかで共有することだってできるのだ。それは日本人としての自分自身を“ゆさぶる”ことであり、“相対化”することでもある。
 もはや、私たち「中国に住む日本人」は、「我々日本人」という立場で、「彼ら中国人」をまなざすことはできない。あえて言うなら、「我彼(われかれ)」という新たな視点で、中国社会を、そして日本社会をまなざしていくしかない。「我彼」の日本人は「上海で生きる」のではない。「上海を生きる」のである。